学生スポーツの感動の裏にあるもの

 スポーツの持つ力の偉大さを日々感じています。
 特に、今年日本で開催されたラグビーワールドカップは日本を、世界に大きな感動を、勇気を与えてくれました!

 このスポーツの素晴らしさは、日常では利己的に行動しがちな私たちが、観戦の際に、自分たちのメリットを一切求めずに、全力で誰かのことを応援できることにあると思います。
 それは、グランドで汗を流し、激しく最後まで戦う選手に心打たれ、勝利を共に分かち合いたいといったところにあると思います。
 選手はその舞台に立つまでに多くのものを犠牲にし、日々努力してきたことだと思います。

 中でも、学生スポーツは数々のドラマがあり、多くの感動が生まれ、人気のコンテンツでもあります。これから数々の全国大会が行われ、目にする機会が多くなると思います。
 学生スポーツはプロスポーツと比べ、環境や技術、身体的に完ぺきではないところがあり、またそこも一つの魅力でもあります。そして、必ず終わりがあり、卒業しなければなりません。

そんな彼らの頑張る姿をテレビや現地の会場で目にする機会があると思います。フィールドの上で活躍し、戦う彼らに胸を撃たれるシーンが多々生まれてくると思います。

 その時に、試合終了時でも構いません。スタンドで応援する部員に目を向けてください。彼らはグランドで戦った選手とともに日々の練習を乗り越え戦ってきました。つらい時も、逃げ出したいときも共に戦ってきた仲間です。彼ら抜きでは、試合メンバーは練習すらできないはずです。その彼らは、わずかな差で憧れの地に立つことができずに、スタンドからグランドにいる選手を見ています。グランドに立ちたくなかった部員は一人もいなかったはずです。皆、「悔しい」「試合に出たい」そんな思いを胸に抱いています。

けれど試合が始まれば、グランドで戦っている仲間を全力で応援します。悔しい思いを胸に抱えながらも、大声で仲間の名前を声に出して応援するのです。その声援を受け、グランドにいる試合メンバーは、チームをスタンドにいる仲間を、勝利に導くために全力を尽くします。

試合に出れる人数が決まっている以上必ず、試合に出れない人が出てきます。チームが強くなればなるほど、組織として大きくなればなるほど、試合に出れない人も多く出てきます。


それでも彼らは今日も、自分のため、仲間のため、勝利のために日々ハードワークしています。








このことに、ドラマがあり学生スポーツの一種の美学であることは間違いありません。自分も、現在学生スポーツに打ち込む中で、このような気持ちがあるのは間違いありません。

ただ、いつも試合が終わるたびに、何か虚無感のようなものが生まれます。仲間のためにと、行動しているはずなのに、なぜかいつも、ふとしたときに、「自分がいなくてもいいんじゃないか」と思ってしまうのです。そして、試合に出れないとき、「自分が頑張る意味はあるのだろうか」と思ってしまうのです。

他社貢献が美徳とされるこの世の中。「One Team」や「One for all All for one」の精神が称賛されている中。どうしても”自分”という存在を捨てきれない。

おそらくこれがあのスタンドで見ている部員のリアルであり、その中の一人であり、現役である自分の本当の声だと思います。一言で「仲間のために」では終われない”自分”と向き合い、残り数週間で終える選手生活にどのように向き合ってきたのかを自分の中で整理しつつ、振り返りたいと思います。


それを次の記事で書かきたいと思います。

長々と書き、まとまりませんでしたが、正直なことを書けると思いますので、今後ともよろしく思います。



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