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終わりよければ全てよしの捉え方

「終わりよければ全てよし」
今までこの言葉が嫌いでした。まるで、最後だけ良い結果になれば過程は何をしてもいいと言われている様な気がして。要領の良い人が過程を省いて結果を出した時に使う言葉に感じていたからです。
ただこの言葉を綺麗に使う人の話を聴いて、捉え方が変わりました。
今回は、終わりよければ全てよしの捉え方というテーマでお話します。

綺麗だなと感じた”終りよければ全てよし”の使い方

何かしようとしては上手くいかずに失敗する。誰でもそんな経験ってありますよね。場合によっては、その失敗は人に迷惑をかけるものかも知れません。人を悲しませたり、怒らせたり。
それでも振り返ってみると、「あんな事もあったな」と達観して思える事があります。こう思えるのって既に失敗を乗り越えているからなんです。その失敗があったから今がある、と受け入れられているんです。

この状態も、実は終わりよければ全てよしです。最終的に結果を受け入れた時、過程に失敗があろうとも「よし」としています。失敗や後悔することがあっても、結果を受けいれられれば過程は「よし」と思える。これは綺麗な使い方だと感じました

言葉の意味

もしかしたら、そもそも「終わりよければ全てよし」の意味を私が勘違いしていたのかもと、ことわざ辞典を引いてみました。

【終わりよければすべてよし】
物事は最終の結末がもっとも大事であり、途中の過程は問題にならないということ。

意味を履き違えてはいなそうです。
言葉の意味としては、過程を省く要領良しパターンも、たくさんの失敗を受け入れられた人も含まれます。どちらも間違ってないのであれば、言葉の意味をどう捉えるかですね。自分にとって捉えたい捉え方が、「終わりよければ全てよし」の意味になりそうです。

今まで嫌いだった「終わりよければ全てよし」も、こうして少し印象が変わりました。
失敗したっていい。打ちのめされてもいい。後でその過程も笑い話に出来たなら、結果「よし」になります。


まとめ

今回は、終わりよければ全てよしの捉え方と言うテーマでお話しました。
昔どこかのバスケ漫画が「諦めたらそこで試合終了」と言ってました。失敗して挑戦を辞めてしまったら、結果は失敗で終わります。失敗しても挑戦し続けたり、失敗を糧に前に進めたら、失敗があったから今があると思えます。
失敗したって受け取り次第で全てよしとなる世界。けっこう好きだなって思います。

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