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ポッドキャスト更新、テレビドラマクロニクル補足講義第七回 『おかえりモネ』と現代朝ドラ

今回は先にレジュメを作りました。
テーマは三本立てで

その1 現代朝ドラを作ることの難しさ
その2 『おかえりモネ』とZ世代
その3 安達奈緒子という脚本家について


となっています。

#45 テレビドラマクロニクル補足講義第七回 『おかえりモネ』と現代朝ドラ その1


 現在(を舞台にした)朝ドラ(連続テレビ小説)を作ることの難しさ。

 2010年代の朝ドラは現代を舞台にした作品が少なく00年代に比べるとどんどん減っていく傾向にあった。

 逆に言うと、90〜00年代の朝ドラが現代モノが多すぎたとも言える。
(トレンディドラマなどの影響で朝ドラを現代的なものに近づけようとしていた)。いずれにせよ、2010年代の作品が少ないことは明らか。

(注)筆者の「現代朝ドラ」の定義。90年代〜現代(2021年)を舞台にしたもの。もしくは放送されている時代(現在なら2021年5月)と同じ時間軸を登場人物が過ごしているもの。過去からはじまり最終的に現代にたどりつく作品も含まれる。

・『あまちゃん』最終回が2012年の7月(ただし、本当の最終回を2013年の紅白だと考えると最終話で現代とつながったと言える)
・『半分、青い。』最終話は2011年7月なので、厳密には近過去モノと言えるかもしれない。

『おかえりモネ』は今のところ、2019年で終わるようだが、おそらくコロナ禍の現在までなんらかの形で描くのではないかと推測している。 

なぜ、現代朝ドラは毎回、賛否が激しいのか。

2021年以降、ざっくりとした現代が描きにくくなった。仮に2020年以降を舞台にした朝ドラを作るとなると、コロナのことも触れないといいけなくなる。
とりあえず引かれた歴史のレール(震災を経て2020年の東京オリンピックへと向かう日本)の上を生きてるような感じなので、精密に描こうとするほど歴史モノのようになってしまう。
『未来の年表』のような2020年以降を予測する未来ブームもあった。今はこのあたりの言説がポスト・コロナとして語られている。

 朝ドラを解体した2010年代の朝ドラ。
 その際に作り手が向き合ったのは朝ドラヒロインをどう描くか?

・過去に活躍した女性の偉人の実話をヒントやモデルにした主人公と物語が優勢となっている。

 これは物語上に説得力を持たせるための担保。逆に言うとそういう実話ベースの成功譚でないと女性が活躍する作品を現代で描くのはまだまだ難しいということになる。だからこそ坂元裕二は『大豆田とわ子と3人の元夫』の主人公を女社長にしたのかもしれない。

 朝ドラヒロインの優等生的な振る舞いが作り手自身によって批判され解体され、現代的なものに変わっつていく流れは『アナと雪の女王』等のディズニーアニメのヒロインが変わっていったことと相似形だと言える。どちらもクラシックで歴史のあるコンテンツだからこそ、保守的なヒロイン像を変えることで批評性が出せた。今は男が主役の『エール』が違和感なく作られる時代なので、ヒロイン像自体がコンフリクトを起こす状況は減りつつある。とは言え、現代を舞台にした朝ドラに反発が多いのは自分のなりたいものを目指すというヒロイン像が自分勝手でわがままな行為に見える人がいまだに多いからではないかとも思う。

#46 テレビドラマクロニクル補足講義第七回 『おかえりモネ』と現代朝ドラ その2

『おかえりモネ』とZ世代

・現代朝ドラの困難という課題に『おかえりモネ』はどう挑んでいるか?
・第1週の印象、外側の広がりをまず描く。見守る大人、壮大な自然。
・自分の悩みとは関係なく世界は存在している。それを踏まえた上で若い子が「どう生きるべきか?」を本人に考えさせようとしている。
・近過去(201年代)をクロニクル(年代記)として捉え直している。
・95年に生まれた主人公・モネの視点から見た2010年代。
・2014年から始まる意味。
・モネは現在存命だとしたら26歳。Z世代の走りだと言える。

(Z世代の特徴:物欲がない。人の役に立ちたいと考えてる。基本的に真面目、デジタルネイティブ、環境問題に対する意識が高い。というか、高くならざる負えない。優しくて人を傷つけることを極端に恐るあまり、本音を言えないetc)
・日本の場合は多感な時期に震災に直面している。モネだと15歳の時。

・このZ世代の前後の書き手が現在、面白いものを作っている。
(『チェンソーマン』の藤本タツキ、『呪術廻戦』の芥見下々、『夢中さ、きみに。』の和山やま)
・ドラマでは『きれいのくに』の加藤拓也(27歳)がそう。

・印象としては大人から美化されているZ世代と、当事者が考えるZ世代には微妙にズレがあるように思う。そのあたりは『きれいのくに』の方が当事者の葛藤がリアルに出ているように思う。

#47 テレビドラマクロニクル補足講義第七回 『おかえりモネ』と現代朝ドラ その3

 安達奈緒子という脚本家について

・2011年に放送された月9ドラマ『大切なことはすべて君が教えてくれた』の衝撃。

・脚本がテーマ主義的ですべてのシーンに作り手の意味が込められている。

・『リッチマン、プアウーマン』等のフジテレビで作った作品には、ある種の生真面目さがよくも悪くも違和感として残っていた。本来は文学的なものを好む作家でNHKの土曜ドラマのような場所が一番ハマる。当時はたぶん、エンタメ性と作家性のバランスに苦労していたように感じる(インタビューした際に油断すると『ハゲタカ』みたいな企業間の争いの描写が増えるので、恋愛要素を入れるように言ったと増本淳さんが話していた)

・「生真面目さの根底にある倫理観」が、社会的な良識から派生したものというよりは、安達さんが生きていく中で獲得した倫理感のように感じた。
 だから作品によっては、この人はなんで憤っているのだろう? と困惑することもあるのだが、それが逆に気になっていたし、数年後に考えるとこういう怒りはあるな。と逆に納得させられた。
 そのあたり社会的な規範を踏まえた上で作品を作っている脚本家『テレビドラマクロニクル 1990→2020』で比較参照した宮藤官九郎、坂元裕二、野木亜紀子とは立ち位置が微妙に違う印象で、だから全体のドラマ史を第一に考えた時に、うまく位置付けることができなかった。今考えると、安達さんのことも書いておけばよかったかなぁと思う。
 これは『キャラクタードラマの誕生』の時も思った(当時は作品数が少なかったので重要な作家と思いつつも見送った)。次に何か書く時は、ちゃんとした安達奈緒子論が書きたい。
・『透明なゆりかご』『サギデカ』からの『おかえりモネ』へと、NHKで書くようになって、作家性が広く知られることになった。その分、月9で書いていた時に比べると間口が狭くなっていくのではないかと懸念したが、朝ドラという舞台が今のところプラスに働いていており、物語もまずは低いところから積み上げて行っているように感じる。何より好きな俳優に演じてもらうことを楽しんでいるのがわかる。
・当時感じた「生真面目さ」は今は違和感がない。むしろ生真面目さが武器になっているように感じる。これは世の中の方が変わったからではないかと思う。Z世代の生真面目さと安達さんの真面目さが呼応しているのかも。そのあたりはモネの真面目さゆえの不器用さ、愚直さと繋がる。
・最初から作家だと思った。筆者の考える作家の定義「自分に嘘をつかないこと」


リアルサウンド映画部で書いた『おかえりモネ』の記事はこちら


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