文を届けること、伝えること
自分が文章に乗せて届けたいことってなんだろう?
こう表現すると、随分自分よがりなこと言ってんなぁと感じます。
でも、
本質をついている問いである
とも思うのです。
文を届けるということ
もちろん大半は、大枠を捉えた記事を求めています。
そういった記事の需要が高いから、
そういった記事がたくさんある。
けど、本当に悩んでいる人は、
痒いところに手が届くような答え
を求めているんじゃないかなぁと、私は常々感じているのです。
そして、そんな記事を届けたいっていうのが私の本心。
真剣な人が真剣に求めること
人が真剣に何かを調べ出したときって、本当にその情報が自分に必要だと思ったときです。
これは至極当たり前のことを言っています。
普段は流し見していても、本気になったときの人の動きって見違えるように真剣になります。
そして最初は大枠から入っていく。
大きなところから理解していき、段々とニッチな疑問が頭に浮かぶ。
さぁ、ここでようやく私の出番だ。
私が文を届ける
そんなときの大きな枠は、もう既に素晴らしい人たちがたくさん量産してくれている。
そこで登場!
自分の経験、私だけの愛嬌!
自分の必要性ってなんだろう?
自分が書く意味とはなんだろう?
そんなことは決まっているのだ。
これまでの私の経験
私しか知らない気持ち
私しか知らない気づき
これだけは誰ひとりとして同じものはない。
もちろん万人にウケる話じゃないかもしれない。
みんながみんな、共感できる話じゃないかもしれない。
でもきっとどこかに、同じ悩みを抱えている人がいる。
そんな真剣に悩んでいる人に、ありきたりな誰にでも共通することを私は伝えたいわけじゃない。
文で伝えるということ
私の本心で誰かの悩みに寄り添って、
私が救えることはないだろうか。
そんなことをぐるぐる考えて日々文章を書いています。
その伝え方が難しいったら。ねぇ。
書いては直して、書いては直して。
やっと完成しても1週間、1ヶ月、と時間が経って覗いてみる。
あぁ、恥ずかしい。
何も伝わらない。
これじゃ何も伝わらない。
ほんとうに難しい、難しいんだよなぁ。
でも難しいから楽しい。
もっともっと伝わる文章を書きたい。
それに比べてnoteは、かなり自分よがりな文章で良しとしている。
私の中のマイルール
これもこれで楽しい。
むしろこっちの方が楽しいなんて思っていることは、ナイショの話!
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