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『それでも僕はここで生きる』 #31 悲哀

31.悲哀

煙草の煙がゆらゆらと漂い、次第に空と同化する。淡い色をした空には、様々な思いを抱えた人間の無数の視線が集まる。皆、知らず知らずのうちに、この忙しない世界で、癒しを求めているのだ。有史以前から変わらない、至極の癒しを。
僕もその癒しを求めて、煙草の煙を追う視線の先にある空を見つめた。
僕はその時、小野に誘われてキャンプをしていた。昼間から車を走らせ、キャンプ場に着くと僕らはテントを準備した。時間の流れを噛みしめるようにゆっくりと時間をかけて行った。その後、バーベキューのために火起こしをした。火の温もりとその揺らぎは、僕の心を芯から癒した。
僕らは二人で黙々と肉を焼いて、食べた。その行為には、生命維持活動という以外に特に深い意味はなかった。会話がなくとも、全く気まずくはなかった。出会ったばかりで、あまり話したことはないけれど、なぜか小野はそう言った雰囲気を纏っていた。
夕食を終え、片付け終えると僕らは『広瀬南』について話した。彼女のもとへ行ったときに誘われるあの暗闇についてや、彼女がなぜ寝たきりなのか。
結論は出なかった。そもそも結論を出そうとしていなかったのだが。
しかしながら、小野との会話の中で、僕は様々なヒントを得た。南が過去を見せたのは僕にその過去から何かを得て欲しいからで、その何かを探るためには過去の出来事が起こった場所に直接行くべきだ。物事は直接見て感じ取るのが良いということ。
キャンプ場には多くの人がいた。一人でキャンプを楽しんでいる人もいたし、カップルや家族など様々だった。また、僕らのような男二人の客も少ないながら存在した。
会話もひと段落して、すでに夜も遅かったので寝ることにした。僕は寝る前に一服したかったのでテントの外で煙草を吸う為に、ポケットを探し、ライターを取り出した。
すると、ライターが入っていたのとは反対のポケットから何かが出てきて、地面に落ちた。暗くてよく見えないのでライターの火で照らしてみると、それは一通の手紙だった。僕は中を開けて読んでみた。


この手紙を読んでいるということは私はあなたの前から消えてしまっているということです。私を失って悲しんでくれている頃かもしれませんし、もうすでに何年も経ってしまっているかもしれません。

私はこの世に存在しています。しかし、今のままではあなたの前に姿を現すことができなくなってしまったのです。

私にも理由はわかりません。だけど、私が海で行方不明になったとき、私はこうなることを知らされていたのです。

そうなることを知らせることができれば良かったのでしょう。ですが、私を失うと知っていて、私と今まで通り接してくれるかわからなくて、怖くて知らせることはできませんでした。今もその恐怖と戦いながらこれを書いています。

私のことは見つけられないかもしれません。ですが、私はこの世に存在している。そのことを少しでも覚えていてくれると、私は嬉しいです。

               広瀬 南

僕はその手紙を読み終えると、頬は涙で濡れていた。無意識のうちに泣いていたのだ。泣いていたことに気づくと、今まで張り詰めてきた何かが急に緩んだかのように大粒の涙がこぼれた。静かに、悲しみを噛みしめるかのように長い時間、僕は泣いていた。
哀哭が終わると、僕は疲れ果ててテントに入ってすぐに寝てしまった。
夜がふけて人気のなくなったキャンプ場はまるで客のない劇場のように静かで、その天上には無数の星が煌めいていた。テントの横には既に消し止められたバーベキューの炭が、寂しそうに転がっていた。そばに流れる川は、休むことなく流れ続けていた。


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