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清澄庭園〜深川江戸資料館(東京都江東区・清澄白河駅)

・清澄庭園

都内の庭園を制覇しようと思っていた時期がある。
汐留の芝離宮、浜松町の浜離宮、上野の岩崎庭園、新宿の新宿御苑、駒込の六義園、旧古河庭園、水道橋の小石川後楽園、けれどそこで終わっていた。
職場の夏季休暇が平日からだったことを知り急遽、久々に庭園を巡ろうと画策して行ったことのない清澄庭園をチョイス。

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三菱財閥を創業したことで知られる岩崎弥太郎らが作った庭園。都内の主要なところは岩崎家が牛耳っていると言っても過言であるけれど、清澄庭園もその一つ。
中央には池があるが、水の流れはなくて濁っている。敢えてそうしているのかもしれない。水面が穏やかなので鏡のように天地が映る。
財力にものを言わせたのかは定かではないけれど、各地方から奇石・名石を集め、庭内の至る所に配置している。これぞ岩崎家の財力やで、と言わんばかりの主張である(そんなことはない)。

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庭内には富士山を模した築山もある。まるで富士山にしか見えません。そうです、そう口裏を合わせることこそが世の中を上手に渡って行く術なのです。

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休憩処ではお抹茶も頂けますのよ。うふふ。トイレは屋外にあるので夏場は虫が多いです。洋式。清潔さは期待しないほうが。
その足で次は近くにある深川江戸資料館へ。


・深川江戸資料館

東京の東側は江戸時代の街並みを推している。両国の江戸東京博物館やすみだ北斎美術館も然り、江戸である。
当然ながら脳内ではお侍ちゃんの江戸江戸〜のフレーズが頭を駆け巡る。みなさまご存知、1、2、参覲交代、江戸江戸〜、のアレです。ご存知ですね。いまさら言うまでもありませんね。

まずは深川にまつわる江戸の有名人や文化の説明がされている。伊能忠敬や山東京伝、曲亭馬琴やら。新撰組の伊東甲子太郎も。江戸時代の女性の平均身長は145センチ、男性は155センチだったそうです。
「ねんねんころりよ、おころりよ」という、なんとなく聞いたことのある子守唄のタイトルはズバリ「江戸の子守唄」という。英訳もある。英訳するとLullaby of Edoである。「Hush-a-by,hush-a-by,baby sweet Hushaby,baby」である。風情? 知るか!

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奥へ進むと江戸の街並みが再現されている。これは素直に感動する。
江戸東京博物館でも長屋の原寸大展示があったけれど、精密さではそれをしのぐ。
なぜこの場所が誰も知られていないのか、と憤りを覚えるくらいにすごい。屋根の上にはやや大きめの猫。電動式。一定時間とか人が来ると鳴くように設定されているので驚く。

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江戸時代の米は水田の他に畑でも作られていたらしく、そういう米は陸稲米(おかぼまい)と呼ばれたそうですが、パサパサして食べにくかったらしい。まあ、新田開発って大変らしいからね。背に腹はかえられぬ。

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ちなみに江戸時代の厠は共同が多く、上半分が開いているので誰が用を足しているのか一目瞭然だったらしい。館内の現代のトイレは洋式でした。

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天麩羅屋というのもある。江戸湾で取れた海産物をごま油にあげた串揚げとしてスナック感覚で売られていたそう。現代の金銭価値で換算すると1本100円くらい。蕎麦屋とのコラボレーションで天ぷらそばというのもこの頃からあったらしい。ちなみにこのころは野菜天ぷらは「野菜揚げ」と呼ばれ区別されていた。

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一服できる茶屋には灰皿。煙管の火種を用意しているという周到さ。現代でいえばライター付きの灰皿っていうところでしょうか。ちなみに煙管の口吸いの部分を「雁首」と言い、「雁首そろえて」という言い回しはここから来ているのです。勉強になりますね。
ここまでの知識は全て年配の学芸員(ボランティア?)の方が親身に教えてくださいました。

家の前に疫病除けのお札があったり、米俵の蓋が飾られていたりと、知らなかった江戸の知識がみるみるうちに身について行く。これで江戸検定一級も待ったなしです。
浮世絵がどうやってできるかという体験コーナもある。何枚もの版木を重ねていって作るのが体験できるのでとても味わい深い。

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