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品川区歴史館(東京都品川区・大井町駅)

東京23区の郷土博物館の一つである品川区歴史館。かつて電通の会長だった吉田秀雄の邸宅があった場所を使用しており、敷地内に庭があり、かつて吉田邸にあった茶室も残っているという興味深い作りをしている。7月から大規模改修工事に入ってしまうのもあってその直前に訪問。

展示室は2フロアに分かれている。1階はまず小講堂で開催されているコーナー展示として、品川区を流れている品川用水および三田用水の現在も残っている史跡について写真パネルで紹介している。江戸時代に玉川上水から分水された水道で、田畑が広がっていた当時の地域において農業を支える大きな水源となった。大井人参、品川蕪、居木橋南瓜など品川の地名が作られた江戸野菜が栽培されたという。

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品川上水について

次に常設展示へ。展示室1では原始時代から幕末にかけての品川の様子が紹介されている。お馴染み土器や板碑もある。石棒は無かった。目立つのは多摩川流域から出土した常滑大甕。愛知県で作られた陶器がほぼ完全な形で品川に残されているのが興味深い。海沿いを生かした海運での物流も多かったことがここからも窺える。

こんな船が行き交っていたのよ

品川というと東海道五十三次の宿場町として栄えたのが大きな特徴として上がる。館内では品川宿の町並み模型を展示しており、当時の記録から家屋の並びまで再現しているのが面白い。江戸時代に品川と並び称された江戸四宿(甲州道中の内藤新宿、中山道の板橋宿、日光・奥州道中の千住宿)の中でも最も旅籠屋が多く、旅行者がそれだけ多かったことが窺える。

ずらっと並んだ品川宿

宿場町だけでなく品川宿本陣の模型もある。また大名屋敷も多く、現在は戸越公園など多くの公園として残されている。将軍の徳川家光も鷹狩などで品川御殿を建てており、現在は「御殿山」という名で残されている。たくあん漬けで有名な沢庵宗彭を招いた東海寺も近くにある。

これが御殿山ですね

幕末の動乱期には外国の脅威に対抗するために幕臣の江川英龍らの働きによって品川の各地に御台場が多く建てられている。その中の一部は現在では観光名所としても知られるお台場エリアとして活用されているのは言うまでもない。

台場は八ヶ所くらいあったらしい

展示室2では近代から現代に続く品川を紹介している。明治の殖産興業によって品川に取り入れられたのはガラス工業。官営の品川硝子製造所が設立され、ここから京浜工業地帯が発展したと言っても良い。またこれまで農村地域だった場所も関東大震災の後に被災者や地方からの移住者によって都市化し、それに伴って東急目黒線・池上線・大井町線といった鉄道網が発達するようになった。

品川の近現代史をおさらい

こちらでもコーナー展示として、かつて現地にあった大井鹿島遺跡の発掘調査が様子が展示されているほか、今までに開催された企画展について紹介している。なお、1階の床はその大井鹿島遺跡を形どったタイル模様になっている。

見落としがちな床の模様である

階段を上った2階ではモースの展示。この大森から大井町エリアといえば大森貝塚である。大森貝塚を発見したモースについてその生涯と、大森やその後の全国行脚で発見した発掘品の紹介をしている。興味深いのは、大森貝塚の碑が現在は二ヶ所に点在しているということ。これは生前の記録がはっきりしておらず、モースの死後に弟子たちが「こっち」「いやこっち」とそれぞれに主張したことによる。どちらも実際に発掘をした場所ではあるものの、どちらが最初だったのか、なんてことで論議がされていたらしい。トイレはウォシュレット式。

大森駅のホームには貝塚記念碑があるのでモース好きは必見


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