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田河水泡・のらくろ館(東京都江東区・森下駅)〜石田波郷記念館(東京都江東区・西大島駅)

・田河水泡・のらくろ館

江東区は漫画家の田河水泡の生まれ育った地としても有名だそうで、「のらくろード」なる歩行者天国もあったりして、地元をあげて盛り上げようとしているのが感じとられる。のらくろードのすぐ近く、森下文化センターの中に田河水泡・のらくろ館」がある。

野良犬のらくろを主人公として、軍隊に入って活躍する物語で、ドジなのらくろが明るく楽しく元気良く出世して行くという物語は戦時中の暗い世間の中で子供達を中心に爆発的な人気を誇ったという。

田河水泡は本名を高見澤仲太郎といい、このペンネームは名字の「TAKAMIZAWA」を「TA」「KA」「MIZ」「AWA」に分けてそれぞれに漢字を充てたものになる。

著作権の関係もあって館内は撮影できない。ただ実際の連載作品が展示されているというのもあって、のらくろのことをあまり知らなくても楽しむことができる内容となっている。実際に自分ものらくろは名前と顔くらいしか知らなかったのだけれど、のらくろが二等兵から出世して最終的に大尉へとなって行く様は面白く、そんな中でも表情に切なさがあったりしてかなり感情移入できる。

のらくろは野良犬だったため天涯孤独の身。軍隊に入って父親のような上官や仲間に見守られながら成長して行くが、長期休暇があったら実家にそれぞれ帰って行く仲間に比べ、帰る家もなく寂しく過ごす、という回があった。するとそれを読んでいた少年たちから「こんどはぼくの家に来てください」と励ましの手紙が次々と届けられたという。そんなエピソード一つとってもいろんな人たちから愛された国民的キャラクターだったのだと感じる。

評論家の小林秀雄の妹と結婚したこともあり、小林秀雄とは義兄弟の関係にあたるらしい。あるとき田河水泡は「のらくろは自分自身」と漏らしたという。田河水泡も幼い頃に親を亡くし、軍隊生活を経たことによるという。

のらくろは多くの作家に影響を与え、手塚治虫やちばてつやなどからもリスペクトを受けている。また、長谷川町子や滝田ゆう、山根赤鬼・青鬼、永田竹丸など多くの弟子がここから育っていった。特に山根兄弟と永田は漫画の執筆権を受け継いでいる。

館内はおよそ30分もあれば回れる広さながら、隣接する漫画資料広場では多くの漫画が自由に閲覧でき、訪れたときも多くの人が好きな漫画を読んでいた。ちなみにこの広場には伊東深水と関根正二という深川ゆかりの画家の紹介展示コーナーも設けられている。トイレはウォシュレット式。


・石田波郷記念館

芭蕉記念館で偶然に見かけた石田波郷記念館。砂町にあるというので、少し足を伸ばしてみるかということで全く知らない土地を歩いてみる。

石田波郷というのは昭和を代表する俳人のひとりだったが、生涯に及んで病気と闘った人だった。入退院を繰り返しながら多くの作品をつくったが、「俳句は文学ではない」と語ったことで議論を呼ぶことになる。ただし大意として「文学ではなく、なまの生活である」という意図があったため、表面上の言葉だけでは真意は計り知れない。俳句に対して美学ともいえる思い入れをもった人だったという。

著作権の関係か撮影はできない。トイレはウォシュレット式。


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