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高専を出ると社会に馴染めなくなる

こんにちは。ならずものです。

皆さんは高専というものをご存知でしょうか?
正式には工業高等専門学校といい、「5年制であり、工業高校よりも高度な内容が学べる高校と大学の中間」と言った感覚でしょうか。

私は高専に通っていましたが、この度社会人デビューをし、一人暮らしをしています。
社会人生活を送る中、毎日のように感じるのが「周りと感覚がズレている」
というもの。

趣味はもちろんですが、笑いのツボ、美しいと感じるものも大きく違うなと感じます。

在学中はそんなもの感じなかったのに、この感覚は一体なんなのでしょうか。

高専出身者は日本人の人口の僅か1%です。
この時点でかなり特殊な環境下であることはわかります。
専門学校など、狭い分野に行けば同じことかと思いますが………
社内には中卒から院卒まで幅広い人間が在籍していますが、高専出身者と高専出身者以外で別れている感じです。

同じ思いをしている高専出身者も多いのでありませんか?

自分なりに色々思うことがあるので書いていこうと思います。


①周りの生徒が持つ「専門性」

工業高校よりも専門性の高い内容を学べる高専では、授業や先生も個性的でバリエーションが豊かです。それはクラスメイトにも同じことで、個性的な趣味を持つ人達が多く在籍しています。
プログラムを組んでゲームを作ったり、自宅に3Dプリンターがあったりする友人。バイクを何台もレストアする友人など、工学的な人間も多いのですが、なんと言っても多いのは、絵を描く人、音楽を作る人の多さです。一概に絵、音楽と言っても様々なジャンルがありますよね、
DTMやVOCALOIDなので作曲をしている人達、ジャズクラシックを嗜む人達、70年代邦ロック、渋谷系、プログレバンド………これ程たくさんの音と言葉が飛び交う教室は、多様性の塊という訳です。

②好きなものを好きと言える環境

これだけコアな趣味を持つ人が沢山集まる高専ですが、みんなが思っていることが
「自分と同じ趣味を持つ人が全然いない」
というもの。
だからこそみんなに趣味を認めてもらいたい、その一方で少数派の気持ちがわかるから誰のことも否定しない。
そんな空間が流れているのかなと思います。

③5年制

高校生という期間は人格形成において非常に大切な期間だと思います。
高校生から大学生とステップを踏み、それぞれで人間関係を構成し、大人になる。

しかし高専では高校生の期間に得た人間関係を継続して大学生の期間に突入してしまいます。つまり、幼さのある高校生のノリを忘れることなく大学生と同じ土俵に上がってしまうということ。
そこで精神面で一般の大学生と大きな差が生まれてしまっていると思います。



以上のように夜中にふと思ったことを書き連ねてみたわけですが、自分は高専に通ったことを後悔していません。

様々な知見をもつ人間から少しずつエキスを分けてもらい、マーブルな価値観を形成することができたと考えています。

社会からズレた思考になってしまうことも、裏を返せば個性的な考えが出来るということ。どこかで認めてくれる仲間がいます。

変わり者のみんな、一緒に頑張ろうね。



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