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空を撮る理由

突然ですが、私は、空の写真を撮るタイプの人間です。


ナムフォトのサービス開発ブレストのときに、スタートアップやベンチャー界隈でご活躍されている方に

「写真から、その人の何がわかるの?そういえば、『空とか撮るやつ、やばい。』って話してたことあったなぁ。」

という問いを投げかけられて、

「ふーーーーむ。」

と、しばし考えておりました。

「何を好んで撮るか」は、間違いなくその人らしさや、その人の感受点を表現してて、やばかろうが、やばくなかろうが撮るわけですが、

「そういえば、なんで空を撮るんだっけな?」

というところを、言語化してみたいなと思った次第。

で、

「空を撮る理由」を言葉にする前に、思い出されたのが、

高校3年生の最後の生物の授業のときに、モングチモリオ先生が私たちに贈ってくれた言葉でした。

「これから高校を卒業して、大学生になって、その後社会に出て仕事を始めると、色々なことがあると思う。時には、『なんで生きているんだろう』と思えるような、人生を投げ出したくなるほど嫌な経験や体験をすることもあると思う。

そんな時は、どうか自然の中に入ってほしい。

山の中に入って満点の星空を見上げたり、小笠原諸島まで船で出かけていって、イルカが泳いでいる海にボチャっと落ちたり。

そうすれば、『自分はなんて小さなことで悩んでいたんだろう』と必ず思えるから。」

モングチモリオのメッセージに、教室からは笑いが漏れたのでした。

満点の星空やら、イルカと一緒に泳ぐやらというのは、受験シーズン真っ只中の、思春期の私たちには少々ロマンティック過ぎたのだと思われる。

ただ、私の胸には、真っ直ぐに飛び込んできたのでした。

なぜなら、私がとてもロマンティックな人間だから・・・!

というのもあるだろうけど、

「現実世界でキビシイ局面が訪れたら、人生の中に違うモノサシを取り入れればいいのだな」

ということを、学んだのだと思う。


私が空を好んで眺めたり、写真を撮ったりするのは、この観点が近いように思う。

資料をきれいに作ったり、リサーチしたり、人と待ち合わせをして仕事の話をしたり、それか、家を綺麗に整えたりアイロンをかけたりするようなことにも、ダイエットとか、美肌とかそんなことには一ミリも役にも立たないけど、

日常生活(それは、ガチャガチャとしたリズムで、一般的には"忙しさ"と比喩されるものが多い)から切り離されて、一時でも、宇宙まで繋がっている空の持っているリズムに、自分を合わせること。

近頃の流行りだと、それはマインドフルネスっていうのかもしれないし、

まぁ、、、、なんでもよいのだけど、

ただ清々しい気持ちになりたくて、空の写真を撮ったりする。

撮らなくても、見上げて、深呼吸したりしています。


「学ぶ」と、その世界の知識や知恵が自分の中にインストールされて、違った観点で世の中の事が見えてきたりするものやん?

それが、「学び」の醍醐味やん?

「空見上げる」だけで、その視点が手に入るねんで?

空見上げるの、ただやで?一瞬でできるで?お得やで!?


と、半ば、あやしい大阪の商人のような口調で、「空写真」をおすすめしてみたり、しなかったり。


今、ミントの香りがするルイボスティーを飲みながら、これを書いています。




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