LGBTトイレの話を聞いて、ジェンダーに名前を付けるのをやめてはどうかと思った話。


名前をつけるのを、一度やめてみようよ。

・・・って、思ってしまった。

余談ですが、病院へくる患者は、医者に病名を言ってもらえないと、不安で不安でたまらないらしい。病気の名前がついても、それは「健康になること」とは違うのだけど。

名前を付けることで、「私はこういう所属である。」という安心感を得る。

「なるほど、こういう症状があるんだ。」

「なるほど、こういうことで苦しんでいる人がいるんだ。」

そういった理解のために、名前が重要であること、もちろん、否定しない。

ただ、真に「相互理解」や「解決」へ向かうときに、細部に渡って違いを切り刻んだり、分析することが、その道をじゃますることがあるんじゃないかな、と思った、最近のできごと。

LGBTの研修を受けてきたという友人の話を聞いて。

なんでも、LGBTの人たちは、トイレの男マークや、女の子のマークに戸惑いを覚えているらしいということで。

「そっかー。そら、大変やなぁ。。」

「なんとかしたいよね。。。」

うん、うん。もちろん、そう思います。

ということで、LGBTの人たちのトイレの開発研究が進んでて、

入り口と、トイレの個室が渦巻き状になってて、それぞれの個室には、いろんなジェンダーを表すマークが付いててて、誰にも合わずに個室に入り、誰にも合わずに出ることができる、、、とかって。

なんか、もう、どれだけの種類のマークと、個室をつくればいいのか、検討つかないし。

「わたしに合うマークがない」って悲しむ人が、なくならないのではないかと思って。

ジェンダーに名前を付けるのをやめて、

「キレイなトイレ」

「気持ちがいいトイレ」

とかでいいんじゃない?って。


誰にとっても重要なことで、合意をはかるのは、どうかなーっと。


メーカーって、偉大だなぁと思うときもあるのだけど、こういう話を聞くと「すごいやだ。」って思ってしまいます。


今日の落書きおしまい。


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