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引っ越しの続き

去年は、引っ越しばかりしていた。

2018年1月に大阪から東京へ拠点を移し、

移り住んだ家が、、、あんまりだったので、同年の12月に、都内で引っ越し。それからちょうど1年が過ぎた。

大阪から引っ越してくるとき、それも突然決心とタイミングが訪れたため、非常に慌ただしいもので、荷物の精査もできずにそのままに、、、という感じだった。

慌ただしかったからだけではなく、

そもそも、何がこれからの人生や、ナムフォトにとって必要なもので、何が必要でないかがわかっていなかったから、荷物の精査ができなかったんだなーと思う。

2000年に、多摩美術大学へ進学するために奈良から東京へ上京してくるとき。

その時は、親の車に、布団、最低限の家庭用具(やかん、包丁、まな板、鍋くらいだった)と、画材用具、衣類を詰め込み、文字通り車のトランク一台分の荷物しか持っていなかった。

親の反対を押し切っての進学だったため、仕送りはもらわず、生活はとても苦しかった。

バイトして、バイトして、とにかく一生懸命時間とお金をつくって、

16mmフィルムで映画を撮ろうものなら、2分30秒の絵を撮影するのに、フィルム代、現像代を合わせて3万円かかる(学割入ってます)という、そういう世界の中で、

本当に、死にそうなかんじで作品をつくっていた。

当時の私の写真を見ると、すごく怒ってて、すごく悲しそうで、負のエネルギーをバネにして生きている感じが、そのまま出ていて、見るのが辛いのですが、

とにかく、その当時のインパクトが強過ぎて、これまで幾度と繰り返してきた引っ越しの中でも、「作品は、絶対に捨てられないもの」だった。


それが2019年の12月。

突然。

あっさりと手放すに至った。

写真展を開催したときに、大判にプリントした写真たちや、

VHSビデオテープに変換した映像、もう絶対この先編集し直すことがないだろう、フィルムや、使い切れなかった8mmフィルム。

演劇の衣装プランをまとめたA1のボードとか、

そういったものたちだ。

これまで、私のアイデンティティが根ざしていたもの。

アイデンティティが根ざしていると思っていたもの。


でも、もういらない。

ここを起点にしなくて大丈夫。

新しいサイクルが始まっている。


そう、自然に思えて、さらさらさら〜と放出できた。


これから、何かを作り上げていく中で、お金的にも、時間的にも大変な局面は訪れるかもしれないけど、何が違うって、

作品をつくる源泉になっている「エネルギー」が違うのだ。

生きているのが嬉しいこととか、私とあなたが違うことの素晴らしさとか、自分にとって心地よくて、視界が明るくなっていくようなエネルギー楽だと思えるもの、を真ん中にしようと。

今のエネルギーに合うものだけを、キープ。

それ以外はリリース。


つまり、今再び、引っ越しみたいな作業が続いています・・・ 

ばたばた。


片付けの途中って、片付ける前より散らかった状態になるんだよね・・・




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