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みずほ銀行

昨日(2021/2/28)発生したシステム障害であるが、まる一日かかって、ようやく(だいたい)復旧したとのこと。みずほ銀行は2002年4月と11年3月の東日本大震災の直後に大規模なシステム障害を起こしているが、これで三度目の大規模システム障害となる。

みずほ銀行はそもそも第一勧銀、富士銀行、日本興業銀行の三行が合併してできた銀行(2002年発足)である。3銀行は、当初第一勧銀の勘定系基幹システムに一本化するのが「統合」の方針であった。しかし、後に各行のシステム資産を「活かす」方向に転じたことが、ただでさえ困難な統合作業を混乱の極みに突き落とすことになった。この過程については、既に以下の本の中でも指摘されている(参考資料)。

そもそも、第一勧銀の基幹システムは富士通製メインフレーム、富士銀行は日立製メインフレーム、そして日本興業銀行は日本IBM社製メインフレームである。そのシステムをつぎはぎしようとしたのが「統合」の実態であった。専門家でなくても「それ大丈夫?」という統合である。システム担当者にとっては悪夢の連続であり、「現場の阿鼻叫喚、死屍累々ぶり」は知る人ぞ知る、という状況であったという。システム統合が長期にわたる過程で、担当者の異動、離職・退職が発生し、過去のシステムを理解できるものがいなくなり、システム責任者ですらプログラムの全容がわからなくなっていったという....。

これだけの巨大システムの統合である。純粋にテクニカルな面で、統合が困難であることは想像するに難くない。しかし、「デジタル・システム」の統合の性質について経営陣が理解していなかったこと、いわば「人災」の側面の大きいことが、「みずほ問題」の特徴である。

人間組織の統合ならば、「たすき掛け人事」により、多少の怨嗟を呑み込んでいくことも不可能ではない。むしろそれが人事の妙でもある。しかしデジタルシステムにおいては、一切のあいまいさは許されない。全て詳細に計画され、計画にもとづき設計され、テストされ、誤作動の要素はあらかじめ極限まで取り除いておく必要がある。それでも障害(最悪の事態)は発生する。その備えをしておく必要がある。

みずほ銀行のシステム障害は、経営陣の中に、「システム的思考」のできるものがいなかったことが大きい。この場合の「システム的思考」とは、業務の標準化・非俗人化と省力化である。

コンピュータ化を推進するためには、実際には、事前にこれらのステップが完成していることが望ましい。しかし、いまの経営陣のほとんどは、業務の個別化(オレだけしか知らない)、複雑化(オレのやり方が一番)、非省力化(独自の書式をもつ稟議書に押印、押印、また押印)のなかで成果を上げてきたものであって、その対極にあるような業務フローを受け入れることに抵抗のあるものが多い。この問題は、みずほ銀行にとどまるものではない。

みずほ銀行は極端な例と思われるかもしれないが、みずほ銀行より古いシステムを使っている金融機関・民間企業・政府機関・自治体は数多い。コロナ情報の収集、給付金の配布にあたり、デジタル化の遅れは白日の下にさらされることとなった。コロナ陽性者の報告にあたり、依然としてFAXを使っているといわれる保健所、給付金の配布にあたり使えないマイナンバーカード、各自治体が独自に発注し互換性のないシステム、コロナ陽性者との接触監視アプリココアのバグ等々、枚挙にいとまがない状況にある。標準化が進まないのは、システムに弱い(高齢)者が日本の「社会経済的基幹システム」の中心であることが大きい。

デジタル化は国際競争力のインフラであり、今日のイノベーションにとって必須の条件である。「情報」の価値は、営業などと違い、直ちに目に見えるようなものではない。経営陣から見れば金食い虫に見える。しかし、世の中の技術革新に応じ、システム刷新は必ず必要となる。そのためには金がかかる。それを惜しんだものは必ず取り残されていく。この期に及んで、ようやくデジタル庁である。経営の専門家ではあるが、デジタル技術素人で、Pythonに挫折したという高齢者の初代デジタル監任命など、「本気か」と思わざるを得ない船出である。

みずほ銀行にお金を預けたくないという個人的感想は別として、日本のDX(デジタルトランスフォーメーション)は大丈夫か。客観的に見ると、絶望的状況にしか見えないが。

参考資料
『システム障害はなぜ二度起きたか みずほ、12年の教訓 』 2011年。
『みずほ銀行システム統合、苦闘の19年史 史上最大のITプロジェクト「3度目の正直」』 2020年。

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