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きこえなくなっていく私の耳

もうろうのヘレンケラーがもし、視覚か張力、どちらかが回復するとしたらどっちが回復してほしいかという問いに対して、
「張力」
と答えたのは有名な話。

弱視難聴の私も、徐々に視力も張力も落ちていくのだろうと漠然と理解はしているつもり。
つもりだけど、やっぱり、聞こえにくさはしんどいなーって思う。

先日、映画館ですずめのとじまりをみにいったときのこと。

ねずみが暴走している場面では、背景の音が大きすぎて言葉が聞こえない。

背景のノイズがオーバーラップして音声が聞き取れないことはよくあることなんだけど、
映画だとやっぱり、内容がうまく理解できないわけで。

しかも、私は映画をみるときは、イヤフォンをつけて音声ガイドを聞いている。音声ガイドがないと、ぼんやりとしたスクリーンがみえない私は場面を理解できないからだ。

幸い、ノイズキャンセリング機能のついているイヤフォンをつけていれば、音声ガイドのボリュームをあげることでそれを聞き取ることはできる。

聞き取ることはできるのだが、その代償は大きいのも事実。
映画が終わったあとは、耳鳴り、耳が痛い、いつもより聞こえにくいなどなど、困った症状も。

それでも、「見たい」という気持ちが勝るからみにいくのだ。

何をいっているかわけわからない場面があっても、それでも伝わってきたこと、それは東日本大震災から12年がたった今、過去に絶望した人々に、
「大じょぶうだよ、未来は明るいものになるから」
というメッセージ。

これは、中途で障碍者になった人にも重なるメッセージだなと思った。

障害者になった直後は絶望する。

なんで、私が?私だけがこんなめにあわなきゃいけないの?と。

苦しくて苦しくて苦しくて、泣いても泣いても泣いても現実はかわらない日々。

だけど、そこからいろいろな人との出会いがあって、支援があって、障碍者になって12年もたつと、過去の自分に語り掛けられるようになっている。

「大丈夫だよ、未来の自分は思ったより幸せだよ」と。

私の耳の病気、オーディトリーニューロパシーはまだまだわからないこともいっぱいで、これからどんなふうに病気が変化していくかもわからない。

不安が全くないといったらうそになる。

だけど、障碍者になってからこれまで、つらいこともあったけど、それ以上に幸せなこともあったように思う。

この耳を大切にしながら、きこえなくなっていく自分も大切にしたいと思う。

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