あきらめないで対話する@視覚障害者と合理的配慮
楽しく、カジュアルに、弱視難聴の日々を発信しております奈良里紗です。
合理的配慮という言葉がイマイチというのはよく言われることではありますが、それは横においておいて。笑
もっと、大切なのは、視覚障害のある人達の中には、問題の解決手段として、
「あきらめる」
を選んでいる人が多いということ。
我々が行った研究の中に、弱視学生を対象にしたものがあります。
彼らが困難に直面したときの解決手段で「あきらめる」が予想以上に多いのです。
そして、これは私も実体験として納得。
なんであきらめちゃうのか?
例えば、視覚障害のある私たちは、紙媒体の資料よりデジタルのほうが見やすいことが多いのですが、多くの場面で紙媒体が配布されます。
これに対して、
「自分は視覚障害があるからデータで資料がほしいです」
と伝えたとき、
「データ配布は原則行っていません」
という回答がきます。
この段階で、あきらめてしまうんですね。かつての私もそうでした。
なぜかって?
こっちからすると、結構、勇気をふりしぼって配慮をお願いしているんですよ。これでも!
だから、断られてしまったら、もうしょうがない、自分で頑張るしかないという方向にいっちゃうんです。
自分でがんばれるならいいじゃないか!と思うかもしれませんが、見える人が数秒で読める資料を1時間かけて読んでいたら、勉強にも仕事にもならんわけです。
視覚障害者になってからありとあらゆる失敗を経験する中で身に付いたのが対話することです。
これ、交渉じゃなくって対話ってところがみそ。
交渉だと、ついつい、自分に有意な結果にもっていきたいがゆえに、相手の立場を忘れてしまいがち。
ときには、相手を威圧して勝利をもぎとることもあるのが交渉術。
でも、私が目指したいのはそこじゃなくって、お互いがお互いの事情を理解して、どっちかが無理するんじゃなくって、お互いにとって心地いいラインを見つけること。
だから、さっきみたいに
「原則、データでの資料提供はしていません」
といわれたら、そこであきらめずに、対話をはじめていきます。
対話をするとわかってくることがあります。
それは相手の事情。
なんで、できないと相手がいっているのかがわかるとおのずと解決策もみえてきます。
ただ、私は20年ぐらいかけて習得したこれらのスキルを、同じように次世代に求めるのはちょっと違うかなと思っています。
もっというと、あきらめるという手段がみについた生徒たちは、そのまま大人になっていきます。そして、一生、あきらめる手段から脱却できないことも。
そんな思いもあって、視覚障がい者ライフサポート機構 viwaでは、視覚障害のあるteenagerのコミュニティを運営しています。
そして、6月には職場での合理的配慮について対話を学ぶオンラインセミナーも企画中です。
ぜひ、この機会にまざって学びあうことができたらと思っています。
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