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コミュ研 【意見について】

 自粛ムードもですが、各ベクトルの情報を宙ぶらりんの状態で受け止め切るのには限界があるよね、ということを思ったので少し書いてみます。

発信者になりたい人がふえたよね

SNSを見ていると、自分の意見を発信する人が増えたな、と感じます。国民総発信者時代、インターネットの力は偉大です。個人的には、意見を表明するって結構リスクあるなと思っているのですが。

ネット上だけの話ではないのですが、時折「私はこう思う」に加えて「あなたはどう?」と意見を求める方がいらっしゃいます。これは相手を選ぶので気を付けてほしいなと思っています。

そもそも「意見を持つこと」と「意見を話すこと」は別次元のことだと考えています。インプットした情報から今の自分の考えをまとめることが「意見を持つ」にあたるわけですが、自己完結できるのがポイントです。内容が変わったっていいのです。誰にも迷惑をかけません。

意見を外に出したとき、ぶつかるリスクってあるよね

「意見を発信する」これは他者ありき、聞いている誰かを想定しての行動かなと思います。意見を発信すると、同じ人と違う人が出てきますよね。議論が好きな人もいますがそれと同時に、議論をしたくないと思う人のことも忘れてはならないのです。これにはレスポンス耐性のちがいがかかわってきます。ストレス耐性ともいえるのですが、単に気が弱いとか、芯がないとか、そういうことではありません。「人と意見を交わすこと」がとてもストレスに感じる人がいる、ということです。


自分は意見を話したい、相手は違うかもしれない、という思考をわすれてはいけないなと思っています。

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