「思考力」とは何か

近年、各種受験において「思考力」を希求することが叫ばれている。
では、その思考力の正体とは?
雑感を記してみたい。


受験を中心とした「思考力」とは


「思考力○○」と「思考力」の文字が受験を含め、多様な場で見られるようになって久しい。
特に、受験を前にしたときに、「思考力」はどう育てると良いか、と考えることだろう。

しかしながら、その言葉自体が広く捉えられるものであるため、曖昧なまま認知拡大しているように思う。
また、スキルとして積み重ねられるものではなく、先天的なギフトのような印象を与えているとも思う。
もし、本当に先天的なもので決まるのであれば、教育を与える意義がなくなってしまうのではないだろうか、それならば、他のことに投資した方が良いのではないか、そう考えることもあるだろう。
そこで、私論ではあるが、"育てられるスキル"としての「思考力」について記したい。

さて、受験において求められる「思考力」とはどのようなものなのだろうか。また、その「思考力」とはどのようにして身につけられるものなのだろうか。

「思考力」とは、「多様な思考型を持ち、それぞれの問いに適用させる能力」またそのための「繰り返しの試行を厭わない能力」と考えている。


"多様な思考型"とは、問題解決の方法を型として知識にしているということである。
非常に初歩的なものであれば、面積の公式を知っている、など。
中学受験であれば、三角形に30°があることを活用し長さを把握すること、など。
大学受験であれば、整数問題でmodを利用することなどであろうか。

多様な思考型はつまるところ、パターン認識できるものとして膨大な知識を持っているということだ。
全くの0から問題解決をさせるというのは無謀で、それでは努力の差をつけられないこともあるため、努力を見る意味合いでもこの点は重要である。

"問いに適用させる能力"とは、パターンを当てはめて、答えを出す力のことだ。
□-16=84とあれば、
移項を用いて、
□=84+16とする。
このパターンで解いていけば良いと見つけ、当てはめていく力のことだ。

"試行を厭わない力"とは、文字通り、試すことを嫌がらずにできる力だ。
これは、他のものと違って量で担保できるものではなく、質的な学習が求められる。
また、間違うことを厭わないと相関する観念とも考えられる。
間違っていくことを通して、より良い方策に辿り着くわけだが、そのための試行錯誤をするには、間違いを「否定されるもの」「怖いもの」と思ってしまえば、身につかないだろう。

「思考力」を身につけるには

仮にそう考えたとすれば、育てる方法は「思考力」の定義から、大きく3つに注力すると良くなる。

1.思考型を身につける
2.思考型を適用させられるようになる
3.試行を厭わないようにする

1.思考型を身につける
量的に知識を如何に増やせるかという観点と重なりがある。
本質として理解し、理解の度合いを上げていく必要があるが、端的に言えば、如何に知っていることを増やすかということになるため、量に出会い、考え方を知るようにすることで身につけられる。

2. 思考型を適用させられるようになる
量を担保しなければ習熟することはできないため、型を知った上で、使う力をつける必要がある。

これらと合わせ、基礎基本とされる知識・技術を習熟させることができれば、一定以上(中学受験で言えば中堅校以上)の問題解決能力がつくと考えられる。
反対に、もし、一定以上になっていないとすれば、思考型以前の知識に脆弱性があるか、思考型が身についていないことを疑うと良いだろう。

3.試行力をつける
ただ、もし、ここまでの力がついてきたとしても、実際の入試に向かった際、どの思考型を使えば良いかすぐに見抜けるものは少ない。
では、どうすれば良いのか。
思考型に気づくため、問いに出会った瞬間、どのパターンが使えるのかと、予測し、それを手を動かし「試行する力」があるとよい。

試行が少ないこと、正しくない方向性で試行することによって、望んでいない結果となっている場合が少なくないように思われる。

つまり、「試行力」がなければ、身につけた思考型は水泡に帰すと言えよう。
「試行を厭わない能力」と「思考型を適用させる力」は同時に育てることが可能でもあるため、質と量をそれぞれ意識し取り組んでいくとよいだろう。

「試行力」は日常生活において、試行錯誤してきた経験がものを言うと考えられ、失敗を恐れない心持ちとも換言できる。
精神性の側面のため、質的な部分といえるため、容易に育てられない観点と言えよう。
幼少期から開放性を奪わずに育てられるかが鍵になると考えられる。

思考型は受験だけのもの?

これは、何も受験だけの話ではないはずだ。
例えば、提案や議論をする際に、フレームワークを活用することもあるだろう。

分析をしたいときに、型がない状態では始められないので、まず、SWOT分析など型にはめた分析をするだろう。
(高度化の具合によって、使わないということもあるだろうが、その辺りは筆者の専門外となるためご容赦いただきたい)

また、クリティカルシンキングやラテラルシンキングなど、一定の思考型に当てはめることで思考を0から行うのではなく、1→10の形に変えていることはありふれた話のはずである。

そう考えれば、受験においても思考型が礎となり、それを問いごとに適用できることこそが、問題解決能力があると見なされるのも合点がいくであろう。

また、受験は特殊なものではなく、日常生活、特に社会生活と連関しているため、ビジネスにおける正攻法を利用することができれば、目指すべき方向へ進むヒントが見えてくるはずだと考えている。

ただし、あくまでも、主人公は子供。
それゆえに、いくら成熟しているように見えたとしても、経験値は少なく、大人が思う以上に簡単に壊れてしまうこともあるため、ビジネスマンを育てることと全く同義としてしまうと、耐えきれずに心を塞いでしまうこともあるので注意して臨みたい。

最終的に目指す"思考力"

「思考型」による対応というのは、受験においても仕事においても、本質的な思考力ではないという批判もあると思う。
実際、フレームワークだけでうまくいくことはないし、パターン認識だけではクリアできない課題が多くある。
だからこそ、人が介在する価値があるとも言える。

受験も含め、最終的に求められるのは、「本質的に理解し、既存の知識を活用・派生させ、思考を拡張できる能力」としての"思考力"だと思う。


本質の理解という観点は、あらゆる内容に生きると思われる。
本質の理解の中でも、特に算数・数学等において求められると思われるのは、定義に立ち返り考えられているかどうかということ。
たとえば、6の約数を全て答えよ、と問われたとき、何を思い浮かべるだろうか。

「1,2,3,6」
以上。

これでよいのだろうか。
約数とは「ある整数を割り切れる整数」という定義である。
そうすると、約数を全て答える場合、正の数だけであるとは指定されていないことがわかる。

つまるところ、「-1,-2,-3,-6」も負の数ではあるが、それも整数なので約数として含める必要があることに気づく。

この例を見ると騙されたように思うかもしれないが、当たり前のように使いこなしているものがあるはずだ。

例えば、掛け算はどうだろう。
一方の数に他方の数の回数分足し算をするものである。
ただ、その場合に、他方の数が1よりも小さい数であれば、元の数より答えが小さくなる。
3×0.4なら、3よりも小さな量が答えとなると身につけているはずだ。
ただ、掛け算をただ単に増えるものだと認識していれば、これは受け入れられないものだろう。
定義から拡張して活用している、初歩的な例がこれだ。

定義に立ち返れば、指定がないものもあり得ると見られ、また、思考を拡張することにつながる。
自然科学は特にそれを得意としている分野なのではないだろうか。

また、拡張といっても知識的な拡張だけではなく、他者の心情を推測することも、それに当たると考えている。
既存の知識があったうえで、ある程度一般化されたものがあることにより、特殊性の理解ができるようになる。
特殊性の理解ができることによって、一般化した心情として、他者の想いを汲み取って行動できるようになる。

思考力とは、最終的には自分自身を内省し、他者を思いやる力ともいえよう。

まとめ

さて、冗長になってきてしまったので、簡単にまとめるとしよう。
・試行力
・思考型
・定義に立ち返る力
この3点が「思考力」の正体と考えられる。

具体的な育成方法は、あくまで私論にはなるが、改めて記そうと思う。
研究論文などより良いものがあればご教授いただけるとありがたい。

不定期ながら個人的教育雑感を記していこうと思う。
もしご興味があればご覧いただけるとありがたい。

これからも実践を通し、より良い方法論を築いていこうと思うので、ご協力いただければ幸いである。

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