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ブランド『三輪そうめん』

奈良県民ですからそうめん食べます。

だっておそうめんは奈良が発祥!

遡ること1300年前。奈良の三輪地域で手延素麺が作られたということで、まさに奈良が誇る、奈良の名品。それが三輪そうめん。

しかもその始まりが熱い!

いまから千三百余年を遡る昔のこと。日本最古の神社、三輪山の大神神社で、ご神孫・大田田根子の子孫で八二七年に三輪族の氏上にも任ぜられた狭井久佐の次男穀主朝臣が飢饉と疫病に苦しむ民の救済を祈願したところ、神の啓示を賜りました。仰せのままに肥沃な三輪の里に小麦を撒き、その実りを水車の石臼で粉に挽き、癒しの湧き水でこね延ばして糸状にしたものが、そうめんの起源と伝えられています。
そののち、三輪素麺はお伊勢参りの途中で訪れた人々を魅了し、手延べの製法も播州(兵庫県)、小豆島、島原へと伝わり、日本を代表する伝統食となりました。

農林水産省HP

おそうめんの始まりは神様の啓示なんですよ…!

農林水産省のHPには、昭和40年以降、家内工業として広く受け入れられ、県下全域に広がったとあり、そういえば、昔々はそうめんを長く伸ばして干す時、屋外で干していたそうで、そうめんが吊り下げられて一面に広がっていた…と聞いたことがあります。

今や全国的にも、夏に欠かせない食事となったそうめん。

そんな中でも、「三輪素麺」はGI認定されたブランドそうめんなのです!


GI認定とは?


地域で長年培われた特別の生産方法や気候・風土・土壌などの生産地の特性により、高い品質と評価を獲得するに至った産品の名称(地理的表示)を知的財産として保護する制度のことを言います。(これも農水省HPより丸パクリ)

基準を満たすものだけが「地理的表示」の使用を認められ、GIマークを付与される…ということで、「三輪素麺」は平成28年に登録されました。

つまりこの「GIマーク」を持っているものだけが、選ばれし「三輪素麺」と名乗ることができるということ。

この事実を私は最近まで知りませんでした。
ええ、知ったのはつい昨日くらいですよ…

とあるおそうめんを頂いて、その喜びをツイートした際「三輪素麺もらった!」と書いたら、通りすがりの方が教えてくれたのです…

Twitter(今はX)ってすばらしい。ありがとうございます!
またひとつ賢くなった!!

三輪素麺は、奈良県三輪素麺販売協議会ということろが設ける、原料、生産方法、最終生産基準を満たしたものだけが、認定を受けられるということなのです!

歴史の中の三輪素麺

1754年に刊行された『日本山海名物図会』に三輪素麺のことがこうあります。

大和三輪素麺 名物なり。
細きこと糸のごとく 白きこと雪のごとし
茹でて太らず
余国より出づるそうめんのおよぶところにあらず

各地でおそうめんは作られるけれど、三輪素麺が絶賛されているのです。

現在も奈良では素麺作りは盛んで、昔に比べるとその数は減っているそうですが、でも相変わらず桜井エリアを中心に作られています。

この産地の形成には、水車が関わっているという面白い記事がありました。

明治初年に水車の数は30個あったといわれ、3つの河川系統に属していた。すなわち、初瀬川水系、巻向川水系、寺川 栗原川水系である。水車の約半数は、素麺粉の製粉を行っており、その位置関係から多武峰を水源とする寺川 栗原川の水車は、三輪 桜井地域 巻向川水系の水車は、織田・巻向地区の業者の製粉を請け負っていた。 水車は江戸時代に発達し、明治期にピークに達したが、やがて大和高原の西縁部に関西水力電気・初瀬水力電気などの開発によって衰退し、昭和初期には数個を数えるのみとなった。水車利用のほかに立地条件として、付近に粘性に富む良質の小麦が栽培されていたこと、製造期の冬季のきびしい寒さと晴天日数の多いこと、農閑期の余剰労働力の存在などがあげられる。

桜井市ホームページ

素麺づくりは、気候が寒冷なこの地域だからこそ適していたこと、農閑期にちょうどいい仕事であったこと。そして、川の流れによる水車の動力を得て製粉が発達したこと…などがあったのです。

でも時代とともに電気が普及してきて、水車がいらなくなって、製粉をやめるところが出てきたことから、素麺作りもやめるところが出てきたのだと。

素麺作りも近代化とからんでいたのです。

でも、それでもそうめん作りを続けてきた人々がいて、彼らが手掛ける「三輪の地」で造る素麺。

農林水産省が決めた規格よりさらに厳しい規制を己に課して、作り上げたもの。それが三輪素麺だったのです。








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