唐招提寺の涅槃会 何もないからこその豊かな時間
唐招提寺さんの涅槃会に行ってきました。
涅槃会とは、お釈迦様の御命日にその遺徳を偲ぶ法要です。
仏教はお釈迦さまから始まりましたから、どんな宗派のお寺でもあっても、自分たちの始祖を称える法要があるものです。
比較的温かな日ではありましたが、途中で雨も降ってきて、お堂のなかはけっこうヒンヤリしていました。
私を含めたご一緒したした方以外の参拝者の方もまばらで、法要は粛々と進められ、時折太鼓を鳴らす音が響く以外、僧侶の方の度胸がひたすらすすみ、かろうじて聞き取れる単語はたまにあるものの、全体的にどんなことをおとなえしているのかよく分からずに声だけを聞いていました。
僧侶の方の高い声、低い声。
最初に声を出してその後に続くような声。
立ち上がり、また膝をつくという拝礼。
お年を召した僧侶の方は、お椅子に座ってらして、立ち上がるのも難儀そうなのに、その都度立ち上がって膝をつくことを繰り返す。
これまで法要というものに何度か参列させて頂きましたけど、いつも何が行われているのかよくわからずに、ただ端っこで座っているだけなんです。
ただ、お堂の中が薄暗く、でも灯される明かりが部分的に光っていて、その明かりがろうそくだったり、灯明の油だったりするのをじっと見ている。
ろうそくの炎はこんな感じでお堂の中で浮かび上がるのだと。
ふだん私達がつけている天上の照明は、あたりを払うような光が満ちているのだと気づいたり。
この薄暗さに炎がゆらめき、ほの赤く一部分だけを照らす生活を送っていた昔の人々は、今とまったく違う感性を持っているのだと思ったり。
外で降り出した雨が地面を叩く音が驚くほど響いて、ただの雨にこんなインパクトがあるのだと気づいたり。
法要って何が面白いの?
何がわかるの?
何が得られるの?と聞かれても、いやー特にないなとしか答えられない私なのですけど、ただなんというか豊かな時間を過ごせる。
何を得ているのかわからないし、もしかしたら時間を空費しているのかもしれないし、仄暗いお堂を実感しただけ、雨の音を聞いただけなんですけど、ただそこに、その場にいるというのがいいのだよなと思ったり。
ただ、法要というものが必ず行われていて、ふだんはお見かけしない僧侶の方も沢山お出ましになって、一心に読経をされている。その強い気持ちや静かな迫力を、ただお見上げ申し上げる、というのはとてもいい経験だと思うのです。
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