感謝するだけで幸福筋ワンダーコア byショップたね子
脂肪も不満も溜め込むと体に悪い。
だからこの世にはそれらを手軽に効率良く燃焼させる仕組みがあります。
それは「ワンダーコア」だったり、「Twitter」だったりするわけです。
脂肪も不満もリバウンドすることなしに
キレイさっぱり燃焼し尽してしまいたいところですが、
脂肪がゼロになると死んでしまうように、
不満がゼロになるということはありません。
では脂肪が私たちの体にとってある程度必要なように、
不満も必要なのだろうかと考えてみました。
例えば家族5人分の食器洗いを毎度毎度やらなくてはならないという不満は、
食洗器が解決してくれます(細かい不満としては「ナベが入らない」ということが残りますが、そこは目をつぶる)。
でもここで、洗う食器が自分一人分に減った場合、
つまり家族が全員いなくなってしまった場合、
食器洗いの件に関しては不満が解消されているにも関わらず、
「何だか淋しい」という別の不満が出てきていることに気付くのです。
そして場合によっては、その淋しさを紛らわすために家を民泊仕様に変えて
外国人を宿泊させ、更にたくさんの食器を洗うことにもなりかねないのです。
こうして「不満」の構造的スパイラルにはまっていくわけですが、
ここで、大切なことに気付いたのです。
「不満と闘っている時が結局幸せ」
なのではないかということです。
不満のタネがなくなった時、
人は同時に気持ちの持って行き場も失うのではないか、
ひょっとしたら脂肪がエネルギーに変わるように
不満もエネルギーに変わるのではないか、
ただそれらを過剰に蓄えると、燃料を積みすぎた飛行機が速く飛べないように
極度にパフォーマンスが落ちるので、よろしくないということではないか、
という見地にたどりついたわけです。
つまり程良い量の脂肪と不満は、かえって人生を活性化するという
理論に至ったわけですが、これはキリスト教的ではありません。
なぜなら聖書には
「いつも喜んでいなさい、絶えず祈りなさい、どんなことにも感謝しなさい
(テサロニケの信徒への手紙1/5章16節)」
と、その時の状況によらず、不満をもってはいけないとされているからです。
しかし、ここでもう少し掘り下げてみると、
「不満に対して感謝する」ということはできないでしょうか。
「食器洗いが面倒だという不満も家族が居るからこそ」とか
「太っているという不満も食料が買えるからこそ」という具合に
不満を転換し燃焼させるのです。
そうすると、あら不思議!不満が喜びに変わっているじゃありませんか!
そんな単純にはいかないと言う方もいるかもしれませんが、
何が一番大事なのかということを確認するために、
そして「溜め込み体質」にならないために、やってみる価値はあります。
これはトレーニングなので、続けると「幸福筋」がつき、
余分な脂肪や不満がつきにくくなります。
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