映画『ウォーリー』

『ウォーリー』(原題: WALL-E)

2008年公開/アメリカ

ピクサー・アニメーション・スタジオ、ウォルト・ディズニー・ピクチャーズ


~以下感想文~

全体的にセリフが少なく、またセリフと言えるような言葉も電子音なので
正直眠くなるかもな~と思ったが全然違った。
気づくととても引き込まれていて、限られた電子音や目の表情・動きなどから、どういう気持ちを表現しているのか読み解こうと必死になっていた。

設定は人類がいなくなり廃墟と化した地球。
そこにいるのは増え過ぎたゴミをかき集めひたすら積み上げるお掃除ロボ・ウォーリー。
ウォーリーは日々自分の役割を果たしながら、ときどき見つけるお宝を集めては基地のようなmy homeに持ち帰り楽しむという高度な趣味を持ったロボット。


ウォーリーは男の子の設定なのでしょう。
以後彼と呼ばせていただきます。

彼が恋する超最新型のロボット・イヴ。
何か動くものを察知するとすぐにビームを発射して破壊しようとするなかなか激しいロボット。
つるつるピカピカの最新型ロボットは、どうやら地球に残っているかもしれない植物を探し保管するという任務を遂行するために地球に来たようです。
忠実にプログラムに従う最新型ロボットイヴと、感情を持っているとしか思えない人間味のある旧式ロボットウォーリー。


人の言葉のセリフが圧倒的に少ない中、
これだけ作品に引き込ませるのはとても魅力があるからでしょう。


また、宇宙をずっと航行している人間たちもぶくぶくと太っており
ほとんど自力歩行ができない様子が描かれている。
何か飲み物を飲むにもロボット頼り、椅子から落っこちて一人では起き上がれず助けてもらうのもロボット、意志決定すら自分ではできなくなっており、全てをロボットに尋ね、変化が面倒になっている様は見ていて空恐ろしくなりました。
人間、歩くことをしなくなり、考えることをしなくなったらああいう風になるんだと、暗に示されているような気がしました。


また、植物を採取し保管し地球に帰還することが目的のはずが
いざそのモノが見つかると、地球に帰ってはいけない!汚染レベルが高すぎる!というのが非常に矛盾していて、かつその矛盾を知っているのはオートと呼ばれている舵取りロボットだけというのがとても興味深い。
人類の舵取りをロボットに任せてしまっている状態。なんだか皮肉。

人間たちは完璧に整えられた環境で不自由なく、けれどとても自由のない生活をただただ送っている虚しさ。
そういったものが描き出されていて、すごいと言わざるを得ない。


当初はこれぞロボット!という感じのクールさで任務の遂行のみを目的としていたイヴが、
ウォーリーと関わることで次第に感情が芽生え、自分なりに正しいと思うことを実行していく様が見ていて心地よかったし、ウォーリーのどんくささやひたすら一途にイヴを追いかける様子もとてもかわいらしく和む。
後半はウォーリーがイヴに守ってもらうことが多く、その点も非常に面白い。
性能上そうなのだろうけど、男の子だけど彼女を守るだけの性能を備えていない点も私はツボでした。

物語のキーとなる小さな植物は、荒廃した地球の一種の希望であり、強さであると感じました。
どんなにゴミの山となっても、植物が生きていたという事実は
地球という惑星のたくましさと力強さを感じずにはいられませんでした。
そして、人間は緑や青空があるところで暮らしたいと願わずにはいられない生き物なのかな、とも感じました。

私が一番印象に残った艦長のセリフ


「生き残るよりも生きたい!」


これは人間の本能そのものの叫びかもしれません。
人はみな「安心・安全・なんの心配もせずに」暮らしたいと望んでいると思いがちですが
本当は、、、心の底では「変化のある日々を豊かに過ごしたい」と思っているのではないでしょうか。
「何の変化もないけどとりあえず不自由はないから満足」と自分を納得させ、そしてある意味それは正しくとても素晴らしいことではありますが、
本当はリスクを取ってでも生きている!という実感をもちたいのが人間という生き物なのかもしれません。


ウォーリーとイヴはロボットなので、そういった生きたい!という願望からというわけではないのかもしれません。
芽生えた感情に従って後先考えることなく、その時やるべきことをしているだけなのですが
それがとてもシンプルで私たちに訴えかけてくるようでした。


2008年劇場公開なのでかれこれ10年以上経っていますが
あまり古さは感じず、むしろ今見ても大事なコトを感じられる作品だと思いました。


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