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坊ちゃん と こころ、猫

先月、久しぶりに20年来の幼なじみに会って色々と話を聞いていると、彼は近頃読書にハマっているらしい。
最近読んだ中では夏目漱石の「坊ちゃん」がオススメと言うから驚いた。
というのも、彼は学生の頃はそれほど勉学に勤しむという感じでも無く、高校を出てからは働いていたので、昔の小説を読むようには見えなかったのだ。

やれ芥川の小説はあんまり面白くないだの、こころはなかなか楽しめただの、生意気な文学士みたようなことを言う。
彼の話を聞いていると、僕がまだ大学生だった時分に、周りの人が自分の読んでいない参考書を話頭に挙げている時と同じような焦燥を覚えたので、数年前に買ってから3ページほど読んで本棚に幽閉されていた「坊ちゃん」を引っ張り出して一息に読んでみた。

改めて読んでみると存外面白い。明治〜昭和の小説は難しい単語や言い回しが多くて読みづらいイメージがあったが、漱石の小説は非常に読みやすく感じた(語彙は難しいが)。
今の時代に「坊ちゃん」と聞くと甘やかされて育ったボンボンのような印象を受けるが、この坊ちゃんは「親譲の無鉄砲で小供の時から損ばかりしている」だけあって我が強く、枉げて相手に合わせるようなことはしない。
周りに流されて生きてきた今の僕より若い24歳で、どっしりと"自分"を持っている坊ちゃんに対してほのかな憧憬を抱きながら読んでいた。
正義感も強く、終盤での(社会的には負けかもしれないが)悪をやり込める場面はなんとも痛快だった。こう書くと何が何やら判然としないが、あまり詳しく書くのも野暮なので。

これを契機に「こころ」も読んでみた。「こころ」は高校の時に読書感想文で(嫌々)読んでいたが、強制と自らの意思とでは感じ方がまるで違う。
ここでの「先生」は坊ちゃんとは打って変わって、常に世間体を意識していてなかなか自分の思い通りに行動することができない。その結果起こってしまった悲劇に対して常に罪の意識を持ちながら暮らしている(いた)。

二冊読むともう一冊読みたくなって、「吾輩は猫である」も読んでしまった。こちらは文庫で500ページ以上ある大作で、なかなか読むのに難儀したように思えて面白い小噺が多く、読み終えてみたらあっという間だった。

読書感想文を書くときは本文だけでなく本文の後ろにある解説を読んだり、作者のことを調べるのが習慣になっていたので、今回もそれに従うと意外な発見があった。

漱石は千円札の肖像画になるだけあって、自分の中では若い頃から作家として活躍していたのであろうと思っていたが、デビュー作となる「吾輩は猫である」は1905年、38歳の時の作であり、作家としての活動期間は1916年に亡くなるまでの僅か11年程だ。

では若い頃から作家を夢見て、それこそ臥薪嘗胆で努力してきたのかと思えば、どうもそうでもないらしい。41歳の時の本人の述懐によれば、

私は何ごとに対しても積極的でないから考へて自分でも驚ろいた。文科に入つたのも友人のすゝめだし、教師になつたのも人がさう言つて呉れたからだし、(中略)小説を書いたのも皆さうだ。だから私といふ者は、一方から言へば他(ひと)が造つてくれたやうなものである。(「処女作追懐談」『文章世界』明治四十一年[一九〇八])

らしい。ということは運が良くてたまたま作家になれたのかと言われればそんなことはない。学生の頃に蓄えた知識、思考力、作家になる前にやっていた教師などの職業、海外留学などの経験。色んなことを蓄積していたからこそ、作家になる僅かなチャンスをモノにできたのだと思う。
実際、坊ちゃん、「こころ」の先生、「吾輩は猫である」の猫が住う屋敷の主人は皆教師で、その他の人物やエピソードも自らの経験に依るものが多い。

書きたいことが纏まらない上に長々と書いても興醒めなので、取り敢えず今の自分に満足せずに様々なことを学んで経験を積んでいきたいと思いました(薄い感想)。


P.S.
「吾輩は猫である」は500ページ以上あって流石に買う気が失せたので、スマホのKindleアプリで読みました。
僕が本を読む時の動機としては2つありまして、一つが内容への興味、もう一つが語彙力の増強です。
今までは本を読んでいてわからない単語があれば、逐一辞書またはブラウザで調べてそれをスマホにメモしていました。ところがKindleでは付属の辞書で簡単に調べられる上にメモもコピペで済みます。
そのおかげで効率がかなり上がりました。片手で気軽に読めるのもGood.

もうKindleなしで読書はできないかもな〜(ステマ) 

このような拙文を最後までお読みいただきありがとうございます。 皆さんの反応を糧に生きています。