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ごろごろと戦い、ごろごろに生かされる

ごろごろする才能においては誰にも負ける気がしない。

世界ごろごろランキングがあればTOP100には入る自信がある。

何故突然こんなことを言い出したかというと、きっかけはごりら7さんの記事

休日のルーティンを紹介されていた。等身大で、自分の時間をしっかりと過ごされている感じが伝わってきてとても良いなあと思った。

最近はyoutubeでもルーティン紹介動画が流行っている。どこの誰かもわからないような人の出勤前ルーティンとかでも、何故か見入ってしまうんだよな。

ということで、自分も休日ルーティンを紹介できれば良かったのですが、ほんっとうに何もないのだ。ルーティンが。むしろ、わたしにとっては「ルーティンがないこと」が休日の定義だとも言える。

誰かとの予定が無い時は基本外出しない。外出しないというのは、遠くへお出かけしないということではなく、文字通り外に出ない。

正直なところ、週に1日は一歩も外に出ない日が欲しい。

ルーティンは無いが、就寝と起床時間はだいたい決まっている。
休日の前は夜更かし。遅い日は3時ぐらいまで起きている。そして、平日の悲しき癖で7時ぐらいに一度目が覚め、二度寝して最終的に起きるのは昼過ぎ。それでも眠い。スーパーロングスリーパー。

目が覚めても昼ご飯までは布団の中で携帯をいじっている。そして、母に呼ばれて昼ご飯を食べに行く26歳女性。
食後は眠くなるので、起きて間もないが昼寝をする。(昼寝したら夜寝られない、という人が居るが、幸か不幸かわたしは無限に睡眠することができる)

ここまで書いて絶望感が漂ってきたので、あとは手短に済ます。
昼寝から起きると夜ご飯ができたと母に呼ばれ(※26歳女性)、再びごろごろして寝る。たまに21時ぐらいから何もしていない焦りがこみ上げてきて、とってつけたように部屋の掃除をする。

ほんとうに、寝る、食べる、トイレいく、しかしていない。

私はASIAN KUNG-FU GENERATIONが好きなのだが、「新世紀のラブソング」という曲にこんな歌詞がある。

息を吸って 生命を食べて 排泄するだけの猿じゃないと言えるかい?

これはもっと深い意味で書かれたんだろうけれど、私には「休日の自分やん…」というベクトル違いの刺さり方をする。

     ・・・

こんな感じで基本はエンタルピー低めに生きているが、少しアホなところがあるので、何かあると急に活動的になることがある。

大学院2回生のとき、なんと研究室に好きな人ができた。その時の溢れるエネルギーといったら。

大学の近くに住んでいたので平日でも9時起きだったのが、謎に6:50に起きるようになった。何故7時でもなく中途半端な時間だったのかはよくわからない。
有り余るエネルギーを持て余し、大学に行く前にトイレと風呂を掃除していた。
遅刻しがちだった研究室にも、一番乗りぐらいに行くようになった。周りから見れば、遅刻常習犯だった人が突然一番乗りになって「トイレと風呂掃除してきた!」とにこにこする様子はさぞ怖かったと思う。

休日は好きな人に会えないので、なおエネルギーが余って仕方がない。
そんな時は家から一駅分ぐらいの距離を猛烈に歩き、ひとりカラオケに行っていた。平日が待ち遠しいなんて、もう二度と味わえない気持ちだと思う。

     ・・・

まあ今ではそんなエネルギーも無くなり、元の怠惰っぷりを取り戻した。

でも、最近は「noteを書く」というルーティンができた。これはとても大きい。怠惰な厚い雲で覆われた休日に差し込む一筋の光のよう。昨日でちょうど、連続投稿30日目でした。一緒に楽しんでくださる皆さまのおかげで、毎日続けられています。これからもどうぞよろしくお願いします!

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