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ギックリ腰の療養中に初めて「気持ちよく走る夢」が見られた件

2021年の「奈良マラソン」を40日後に控えて、ギックリ腰をやってしまった。幸い症状は深刻ではない(と思いたい)ので、安静にしていれば本番に間に合わないことはないだろう。

私のような素人ランナーであっても、それなりに真剣にレースに挑もうと思えば、当日に向けて時期ごとにいろんな調整をする。レースの3~2ヶ月前は故障に気をつけながら走り込む期間であり、レース直前の1ヶ月間は「体の疲れを抜く期間」にあてることが多い。

ギックリ腰になった本番40日前は、体に残った疲れをゼロにしてレース本番に挑むために、そろそろ練習内容を楽なものに切り替え、練習量を減らしはじめる時期だった。

そう考えると、今回のギックリ腰はそれほど悪いタイミングではない。走り込みが足りないことは間違いなく、とてもベストコンディションに持っていくのは不可能だろう。しかし、こうした故障やトラブルと付き合うことも含めて “フルマラソンという道楽” なのだから、これも楽しむしかない。


思い返せば、2年前の奈良マラソンでは、レース前日の夜にギックリ腰になってしまった。夜にお風呂から上がって少しリラックスして、床から立ち上がろうとした瞬間に腰に違和感が発生。「まさか!」と慌ててストレッチなどしたのが良くなかった。まごうことなきギックリだ。

取材も兼ねていたので、簡単に休むという決断をするわけにもいかない。その夜は寝返りを打つたびに激痛で目が醒めてしまうほどだったが、レースにはコルセットを巻いて参加し、なんとか完走できた。

というか、電車の座席にさえまともに座れない状態であっても、背筋を真っ直ぐ伸ばしてさえおけば、意外とたいした痛みもなく走れてしまうものなのだ。私のランニング人生に、不要な気付きと、無駄な経験値が加わった一日だった。

とはいえ、この2年前のギックリ腰は本当に残念だった。この年は調整も完璧に進み、自己ベストは当然として、20分以上も更新することを狙っていたのだから。

それ以降、コロナ禍で練習もままならず、調子は低いところで安定してしまっているだけに、あの日(レース前夜)のあの時(お風呂に入る前)が我が人生のある面においてピークだったことは疑う余地もない。そんなことってあるかね、ほんとに……。



そして2年後、またギックリ腰をやってしまうことになる(人生3度目です)。レースに向けての練習はしんどい面も多いのだが、今のように10日以上も走れない日が続くと、そんなことも忘れて、やはり「走りたい!」と思うようになる。

驚いたのは、つい先日、一晩に2回も「気持ちよく走っている夢」を見たことだ。

そのパターンは2回とも同じで、外を歩いていると、いつの間にか脚は軽やかに回り始めて、飛ぶように走っている、というものだ。しかも、普段着のままでも汗もかかず、ただただ気持ちが良かった。「あれ、俺いま絶好調やん!」と思いながら目が覚めた。

よく考えてみると、月間で150~200kmも走っている割に、これまでランニングをしている夢は見たことがなかった。

普段から見る“走る夢”といえば、それはほぼすべて悪夢だ。時間に遅れそうであったり、何かに追いかけられていたり、何らかの理由で急いでいるにもかかわらず、脚が鉛のように重くて前に進まない。夢の中で走るなんて、あのもどかしいパターンしか経験がない。

わずか10日ほど安静にしていただけで、あんな快速ランナーになった夢が見られるなんて、それはそれで悪くない。

……と、心の底から思っているわけではないけど、ちょっとした慰めにはなってくれた。こんな小さな楽しみを見つけながら、ジリジリしながら走らない日々を受け入れております。


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