#7_ジャニオタという遺伝子を持って生まれた女
ふざけた衣装で関西色の強い「関風ファイティング」や「ズッコケ男道」をリリースし始めた2006〜2007年頃から、エイトの快進撃が始まった。
今思えば、内くんが居なくなったことでこの時期だけ私の気持ちは少しだけエイトから離れてしまっていたように思う。
その隙間を埋めるようにKAT-TUNやNEWSを始め昔から母が加入してるV6とKinKi Kidsのコンサートにも行っていた。
そんな中、エイトが2007年5月から9月まで約5か月をかけ、ジャニーズ事務所初となる47都道府県すべてを回る全国ツアー(全113公演)を行い、約67万人を動員した。
この「全国47都道府県 完全制覇!!関ジャニ∞ えっ!ホンマ!?ビックリ!! TOUR 2007」通称“47ツアー”で、エイトは内くんが脱退した後のグループとしての絆を固めたんだろうなと思う。
発売されたDVDでも同じホテルでずっと一緒にいる様子や、特典映像で寝起きドッキリ企画をしてくれたり
エイトレンジャーという企画が話していく中で決まっていったんだろうなということがとても良く分かる。
その時期のアルバム「KJ2ズッコケ大脱走」には、当時も今のコンサートでも盛り上がる曲がたくさん収録されていて
エイトの曲は噛めば噛むほど味が出るスルメタイプだと思っている。
またこの47ツアーで、エイトが初めて東京ドーム公演を行った8月5日。
最後のダブルアンコール、トリプルアンコールで
りょんが客席で見ていた内くんの手を引きステージに連れてきて、8人が揃って舞台に上がった。
東京ドームのこの公演はもちろん見に行っていなかったが
この報道を聞いた瞬間、私は一気に関ジャニ∞に引き戻された。
あのときみんなが着ていた衣装や、後に発売された写真集で8人が東京ドームのステージ上で手を挙げている姿は
今も目に焼き付いて離れない。
その後2009年に発売された「PUZZLE」というアルバムでは、りょんが大好きな斉藤和義さんに直接楽曲提供を依頼をし、
今までのエイトの歴史を歌ったこのアルバムのリード曲「パズル」を書き下ろしてくれた。
その後、私たちが斉藤和義さんのライブにも足を運ぶようになったのは言うまでもない。
2010年も全国ネットのバラエティー番組が決まったり、
シングル曲初のバンド曲「LIFE〜目の前の向こうへ〜」が忠義の連ドラ主題歌となったり、
エイトが楽器もできるということが全国に知られるきっかけにもなった。
2009年から2年連続で大阪京セラドームでカウントダウンライブを行い、
中継を繋いでいない間にドームでカラオケ大会をしている7人を見ているのがとんでもなく幸せだった。
2011年の冬にやっと、「KANJANI∞ 五大ドームTOUR EIGHT×EIGHTER おもんなかったらドームすいません💧」が開催される。
カウントダウンライブで京セラドームに立つエイトは見ていても
やはりエイトがグループとして5大ドームを回ることになった喜びや想いがあふれる構成になっていて、
これは東日本大震災が起きたこの2011年の24時間テレビでメインパーソナリティを務め、りょんがNEWSの脱退を発表し関ジャニ∞1本の活動になってから初のコンサートだった。
山PもNEWSを脱退し、ここからNEWSは4人での活動になる。
その後2012年4月にKAT-TUN、NEWSとの合同ファンクラブが解散となり、私たちはその番号を受け継いだまま関ジャニ∞単体のファンクラブ会員となる。
ここでもらった4桁の会員番号には、今も特別な思い入れを抱いてしまう。
同時に誇りにも思っている。
関ジャニ∞として初のこのドームツアーは、構成をりょん、ヤス、忠義が担当し、「EIGHT×EIGHTER」の部分はりょんが考えた。
コンサートのオープニング映像もりょんが脚本し、前アルバム映像監督やシングル「365日家族」のMV監督をつとめた中村哲平さんを招き、エイトレンジャー復活から特典映像までを監督している。
このとき、りょんがメイキングで語っていたこともツアー中MCでの振る舞いも
エイトへの愛とファンへの感謝も、今も嘘じゃないと思ってる。
りょんはいつだって素直な少年のまま、思うままに生きてるだろうから。
2012年にグループ名にちなんで、デビュー8周年を記念した様々なイベントが開催されたが
8月8日(エイトの日)に京セラドーム大阪でCDを購入した中から抽選で限定4万人のイベント「すごはち」は当たらなかった。
でも、秋から冬に行われた全国ツアー「KANJANI∞ LIVE TOUR!! 8EST 〜みんなの想いはどうなんだい?僕らの想いは無限大!!〜」を10都市で開催したときのうち、
東京と大阪はグループとして初の野外スタジアム公演を行い
大阪・長居陸上競技場は2日間とも当選し、2日目は台風の影響で中止となってしまったが
初日は外周横のスタンド1列目、2日目はアリーナ席が当たっていた。
ここぞというときのコンサートで、エイトは会員番号や申し込み情報を考慮して当選させてくれてると思ってる。
単に自分の運がいいだけかもしれないけれど、それでも今はもうそう思い込むことにした。
その後自分が辛くなったり、何かあるたびに
観たくなるのはこの8祭と、一番最初の内くんも出ているEXCITE!!のDVDだった。
すうもりょんも辞めてしまった今は、まだ少し見返す勇気が持てていないけれど。
この8祭のときも、2014年の10周年イベント10祭のときも、
私は本当に贅沢な大馬鹿者だったと思う。
このときに自分が何をしていて、何に悩んでいたのか覚えていない。
それなのに、この7人でいる幸福を失くす痛みを知らぬまま
これからもエイトはくだらない個人の悩みに寄り添ってくれるとあぐらをかいて、自分のために聴いてた曲と自分のために観ていたコンサート。
7人の関ジャニ∞を自分のために消費していたことに腹が立つ。
この人たちが、この7人で、この声に乗せてこの曲を歌うことはもう二度とないのに。
今となっては、決まった形とカメラワークの、残された映像でしか見られないのに。
みんなが周年を迎えて喜び笑い合ってる笑顔を
今覚えてすらいないくらいの自分の小さな悩みなんてものに重ねて勝手に甘えてんじゃねえよ、と
今タイムマシーンに乗って時を戻せたら、
もう一度7人の関ジャニ∞をあの会場で観られるなら、
グループが、関ジャニ∞が、今その瞬間そこに居ることだけを
もっと忘れないように、もっとちゃんと噛み締めろと、スタンド1列目で泣いていた自分を殴りに行きたい。
それくらい、本当に大好きでただ楽しくて
楽曲を深読みすることなく純粋に感動してコンサートで彼らのエンターテイメントに触れていることが、ただただ幸せだった。
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