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21世紀に、“農村”に親子留学するワケは

8月の半ばから、ゆえあって断続的に3歳半の息子とともに、ずーっとお世話になっている村のお宅に“家族留学”しています。

なぜこの21世紀にわざわざ、水道がなくて(電気は2年前にきたニューカマー)クメール語しか話されないカンボジアの農村にいくのか??

しかも、留学。どんな学びが??

理由は至ってシンプルです。

Napura-worksという会社の仕事を通じて届けていきたい、今、私たちに必要な学びと、
私たちNapura家族が息子に届けたい学びがそこにあ
と思ったから。

それはいったいなんなの?!
(と、日本の家族にも聞かれた)

高床の下で昼寝する息子のハンモックを揺らしながら、お母さんがバナナの幹を削る音を聞きながら、この場所での日々とともに「それ」をちょこちょこと書いて行きます。


肌が触れ合う時間を

私たちNapura家族が暮らすカンボジアでも、COVID19の影響で、3月から学校は全校休校。
首都プノンペンで息子が通っていた幼稚園も休校を受けてオンライン授業に。
3歳児クラスのオンラインのカオスっぷりもさることながら(先生、よくがんばったよ!)、早々にオンライン授業をボイコットした息子のひとことにはっとさせられました。

ある日のオンライン授業が始まるタイミング。

「ほら、がっこう始まったよー!先生待ってるよー!」

と声をかけたら、机の下で背を向けて何かしながら彼は言いました。

「ママ、がっこうは“いくところ”だよ。これは“がっこう”じゃない」

なるほど、なるほどね。

試しに

がっこういくとなにがあるの?

と聞いてみたら、彼の口から出てきたのはがっこうで1番仲良しの兄弟の名前、同級生の名前、そして大好きな先生たちの名前。

ぜんぶ、人でした。

あぁ、君にとって“がっこう”ってそれなのね。

“がっこう”大好きな彼にとっての“がっこう”ってそこにいる人たちとそこで過ごす時間だった。(連日お代わりしていると噂の給食も含む)

学校が休校になって早5ヶ月。
家族3人で朝から晩までずーっと一緒に過ごすルーティンもできてきたし、これはこれで人生のとても得難い時間だったけど、同世代のだれかと子犬のようにコロコロくっついて、ケンカしたり、暴れたり、爆笑したりする時間が大事だよなと、カフェに連れて行って、隣で静かに、ときどきニヤリとしながらYouTubeを見てる息子を横目に見つつ考えました。

人生にはいろんな時間があるけれど、今彼に大事なのはきっと、年の近い誰かと肌を触れ合って、それぞれの生命を全力で感じる「子犬コロコロタイム」。

それがきっと、いつか彼の人生を左右するほど大事ないのちの根っこをつくるはず。

そしてそれは、私たち親だけでは提供できないこの世界がくれる宝物。

おかげさまで村のお宅には赤ん坊のころからお世話になっているし、6歳のお姉ちゃんを筆頭に2か月のベビーまで“血のつながらないいとこたち”みたいな5人の同世代たちがいる。

この場合、言葉はたぶん関係ない。
たぶん。

暮らしと仕事を近づけていく

高床式からオンラインという道

一方で、Napura-worksとしても、私自身としても学びたかったこと。
それはCOVID期間の前から農村に教えてもらっていた「暮らしをつくる」ことの大切さ。

大地にちゃんと根を張って生きる人たちのゆたかさとつよさ。そのゆたかさはどう生み出されていくのか。

3月にCOVIDで仕事のやり方が激変し、加速度的にたくさんの対話の機会が生まれ、その中でずっと模索してきた、「根のある暮らし」と「ゆたかな仕事」の融合。

“ゆたかな”仕事とは、それを通じて、誰かと誰かが出会い、それを通じて関わる人たちの人生がゆたかになっていくような関係性が華開く瞬間をたくさん感じられる仕事。

4,5月とオンラインでそうした“ゆたかな仕事”の種の手応えを持っていたので、次は「根のある暮らし」のほうにじりじり寄っていきたい。

2つを撚り合わせて「生きる」をつくりたい。

高床の下で、暮らしをつくるみんなの姿勢を学びながら、オンラインでいろんなところと仕事をするというスーパーハイブリットな生活。

それははたして、できるんだろうか?

そんな思いを持ちながら、私たちの現状を伝えるとありがたいことに、村のお宅のお父さんも、「しばらくうちに来たらいい」と言ってくれた。

こうして私たちの「いきる」と「そだつ」を学ぶ農村留学が幕を開けました。


つづく。


2020.9.7


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