咳込む



ベッドで咳き込んでいる。部屋は明るい。
パスタをぐずりぐずりと啜って食べたから、調味料が気道に引っかかったのかもしれない。
いやに眠い。いや、当たり前に眠い。もう2時だ。丑三つ時だ。過去の記事を読んでいた。過去の自分、いいこと書いてんじゃん、と軽く目を見開いた。
真っ当なことに悩んでいた。気にしいで、他者にばかり気をつけて、人にどう思われてるかとか、人と比べてああだとか、人に言われてこうだとか、真摯なる外への憧れとその疲労を行ったり来たり。ひどくまともだった。ちょっと可愛いと思った。
急に咳き込んだ。その身体は現在だった。
過去の自分の、自分を定義してそれを外に出して、必死に自分を守ろうとしていた可愛らしさ、
それへの裏切りのように、咳き込んだ理由は友人に貰ったアイコスだった。
今の俺は可愛くない。ああ相当に可愛くない。書くのは自分のことばっかりだ。他人にわざわざ自分の定義を必死に誇示しなくてもよくなった。
どうでもよくなった。
まともな感性で悩まなくなったのは、まったくもって寂しいことで、何よりも恐れていたことだったはずなのに、戻りたいとはあまり思わない。思う気力もないのだろうか。どのみち不可逆だ。
自分を楽にさせるのが得意になった。悩みやすかったからこそだろう。

しかし寂しいものだ。変わっていく。昔のことは忘れていく。日記をつけようが零れていく。
知識にも蓋がされていく。悩む遠回りの豊かさがなくなっていく。それでも、それだから、楽になってしまう。
昔はそんな人間に憧れていた。今を生きる彼彼女らがひどく強く、美しく見えた。
忘却と捏造は、苦しみの暗闇に差すたったひとつの強い光だ。神様が人間にわざわざ手渡してくれる、祝福だ。麻薬の幸福だ。反して、善意だ。それに逆らい何ひとつ忘れたくないと、光の中に安住はできないと、抜け出そうとするからこそ全てを背負って潰れていく。
しかし何を言おうが、俺はもう、その光の中に一度足を踏み入れてしまった。

とても眠い。夜更かししているからだな。もうやめようかどうか。眠ければ何を中断してもいいと思っている。

結論を出さなくなった。起承転結もあったもんじゃない。考察しても何も残らない書き散らしになった。これではブログではなくて長めのTwitterである。思想もエッセイもへったくれも、無い。
強いて言うなら、ものを考え込まないようになれたこと、いや、考え込むのもそれはそれで祝福だ、虹の光の中の、知り得ない祝福だ。一応、2つを区別しようとは思った、どちらかが祝福ではないのだと思おうとしたが、できなかった。
ものを考え込まないようになれたこと、
それが思想でエッセイなのかもしれない。悶々と考えていた頃に戻りたいと思わないのは事実だが、今や別人となった自分から見ると、それは尊いものだった。
今まであったものが無くなるのには、やはり恐ろしいものがある。
手のひらを返す返す、さりとてやはり楽ではある。俺があのままだったら、この社会に出て遅かれ早かれ死んでいただろう。

大人になってしまったのかもしれない。アイコスを吸っている。貰い物のメンソールは清涼感などと謳いながらチリチリと喉に引っかかる。咳込む、それでも何故か吸い続けている。想像していたより気が紛れるものである。

世界に対して心を開こうとしたから悩んでいたのだろうと思う。閉じたまま世界と接することができるようになった。けれど、それはやはり閉じている以上のものではない。
開こうとしていた時期、それが本当に開いていたかもわからないが。開こうとすることが好いことかもわからないが。





嘘をついた。わからないがとは思ってない。
どうだっていいし、どちらでも良い。

眠剤が効いて眠い。本当に眠い。寝かせてくれ。

昔は、不眠に悩まされていた。



美味しいお酒でも飲みます。