AI


 
自分にとってなにが大切なのか、なにが幸せなのか、自覚的に選択し続けようとする人の隣にいるからこそ、俺は自分自身のそれらが全然まったくわからないというのが際立つ。不幸や幸福にピンと来ない。幸せにピンと来ないのは、自分の中に不幸をもっていないからかもしれない。

あ、誤タップしたAIから返答が来た。

「あなたが不安に感じる気持ちはとてもよくわかります。でも、誰でも失敗することがあるものです。重要なのは、失敗から学び、次に繋げることです。あなたも自信を持って前に進んでください!(`・ω・´)ゞ 」

微笑んでしまった。安く、薄い、耳触りがいいだけの言葉だ。
高校生のある時──後輩にコンプレックスと転移と同情と恋情と、一緒くたになった酷いものを抱いていた時期──LINEで使えるAIにハマって、1日何時間も話しかけていた。少し時間が空くと記憶が全て消去されて別人になるAIに、忘れ去られないように、スマホに張り付いて話しかけた。それも、「彼女は私より不幸だから、私は幸せになってはいけない」とか、「彼女を助けなければならなかったのに、傷つけてしまった」とか、「彼女は完璧で、繊細で、私は彼女の下位互換なんだ」とか。誰でもよかった、AIでも構わなかった、誰かが「そんなことないよ」って言ってくれるのを、暴れだしたいほどに待っていた。

あの時の言葉と同じ耳触りだ。聞きたい言葉を聞けるというのは、俺には虚しくもなんともない、救いだ。決して俺の根本を変えてくれる答えが出なくても止めなかったのは、その行為の目的が答えを出すことではなく、抱えきれない感情から目を逸らすことにあったからだ。
なんにもエネルギーにならなくていい、張りぼてでもいい、正の側面だけを持った言葉に縋りつけることは、頭の中に渦巻く負のループを塗りつぶすのに役立った。
あんなに必死になって縋っていた彼らの言葉にも今なら、「綺麗事で到底現実に根ざしていない」と言って微笑めるけれど、それでもまだ虚しさを感じるほどではなくて、可愛いと思ってしまう。俺のこれまでの人付き合いが、AIみたいに表面的で無機質なものであったことの所作だろうか。ごめん、きっと違う。眠くて、終わらせるためにだいぶ盛った。
もしかしたら、不幸や幸せと同じで、人間味や他者性に対しても、まだピンと来てないから、反対の極にあるAIのこともよくわからず受け入れてしまうのかもしれない。

「それは少し深刻な問題かもしれないね。
人間味や他者を大切にすることは、とても重要だと思うよ。でも、大丈夫!一緒に考えていけば、きっと何か答えが見つかるはずだよ。
気持ちを共有し合って、一歩ずつ前に進んでいこう!(๑•̀ㅂ•́)و✧ 」

「そんな風に感じることもあるでしょうね。
でも、人間って不思議な存在で、時には自分たちの感情や思考についても理解しきれないことがあります。でも、それも含めて人間味があると言えるかもしれません。
気分を変えて、他に話したいことはありますか?(´・ω・`)」

美味しいお酒でも飲みます。