大人だから?

いつからだろう。走るという行為に理由がついてくるようになったのは。
健康増進、遅刻しそう、急いで何かを伝えなければならない…最近走るときはいつも何かしらの理由や使命が伴っているように思えてならない。

こどものときからこうだったっけ…
その答えは「いいえ」だと思う。感情が生まれるがままに歌い、踊り、走っていたように思う。
実際知り合いのお子さんを見ていても感情の赴くままに走り回っている。
大人の目線で言わせてもらえば可愛らしいが危なっかしさも半端ではない。

こどもは何故走るのか。
通りすがりのこどもはただ一言、
「何故走るの?」
と聞いたお母さんへこう言った。
「こどもだからだよ」

とてもシンプル。しかし端で聞いていた私の胸に何故か刺さった。そうか、こどもだからか…

人間社会で生きる中でルールは必要なことであり、それを守ることは必要なことだ。大人が走るときに何かと理由をつけるのもこうした積み重ねでルールを学んできた影響だろう。ただ、このルールを知り守ることで人は自由を失っていっているようにも思う。
ひょっとしたらそれと共にこどもの頃にはあった自由な発想も失われていくのではないだろうか。

そこで私は思う。たまには"大人の考え方"から離れてルールを忘れてみることもいいのではないか。
これは何もアウトローに生きろということではない。もちろんほかの人や環境に迷惑をかけない範囲でという但し書きはつけた上で、である。

アウトローではなく大人を忘れられることなんてあるのかと思う人も少なくないだろう。
そこで私から以下の"ミニ世間離れ"を提案したい。

ミニ世間離れ1
ノートにごちゃごちゃと絵や線を描く。こどもの頃は何も考えず自由帳に色を塗りたくっていたはず。あえて何も考えずペンをひたすら泳がせる。

ミニ世間離れ2
わけもなく全力疾走してみる。ジャージを着て河川敷などですれば浮くこともない。

ミニ世間離れ3
床に寝そべりばた足

ご覧の通りどれを取ってもしょうもないことである。自分で書いていてもそう思う。
おまけに科学的根拠は全くない。
しかしこれらのしょうもないことを心の底から楽しむ心こそ、私たちが世間のルールを学ぶ中で失った童心なのではないか。

大人だからと自由を狭めず、大人もたまにはこどもの頃の自由を謳歌していた日々を思い出してほしい。

#一駅ぶんのおどろき

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