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自分は何者か

私は、小さいころから大勢の中で浮いてしまう存在だった。みんなができることが3年後にようやく理解してできるようになる、そんな感じで成長してきた。だから、学生の時は、いつも3年前に戻りたいと思っていた。今、3年前に戻れたら、リレーの選手にだって、ドッジボールのホープにだって、学級委員長にだってなれるのにと。

小学生の時、出来が良くなかったのでクラスでもあまり発言することができなかった。ところが小学生3年生の時に海洋少年団(ボーイスカウトの海版のようなもの)に入った時、ここで上下関係を知ることとなる。4年生、5年生になると新しく入ってきた年下の子たちの先輩になるわけだ。

始めて、年下に教えてあげることで自分の存在に自信がもてた。私より1年、2年年下の子たちは、私に対して、「学校では学級委員長とかやってますよね。」と言う。その時、初めて「えっ!この私が学級委員長?」学校では、何も発言できず、縮こまっている私。「年下の子たちから見たら立派に見えるのかな?」と嬉しくなりました。

確かに、今、この子たちと同じ学校で同じクラスなら私は、クラスの学級委員長になれるかもしれない。そう思ったのがきっかけで「私は、3年、人より遅れているだけ」と思うようになった。社会人になると年の差はさほど気にならなくなり、私は気が楽になった。

学校の中の、クラスの中という小さい世界は、とても息苦しかった。海洋少年団に入ったことで他校の生徒の中で私の過去を知らない人たちの前で、新しい自分を演じれたことは、いや、本当の自分を出せたことは、とてもラッキーな出来事だった。私は何者か?それを考える時間になったし、自分の未来はどんどん塗り替えられるのだと実感したのだ。

クラス変えの度に新しい、より良い自分に脱皮することができる。こんな素敵なことはない。その考えを手に入れてからは、新しい人との出会いが楽しいと思うようになり、たくさんの人と接することで自分が成長するのだと実感している。私は何者か?今でも進化途中の私は、答えに行きついていない。

なりたい自分になることが楽しくて仕方ないのだ。時々、自信のない、出来の悪い私と思っている小学生時代の自分に会いに行って「あなたは、今こんな風に成長したよ、だから勇気を出して」と過去の自分を応援しに行く。過去の私が喜ぶ顔が見れるのが嬉しいのだ。

そういえば、あの頃の私は、マイミーという架空の神様を作って、よく語り掛けて、願い事をしたりしていたけれど、今思えばそれは、未来の私自身だったのかもしれない。


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