この世界の真理

人生の目的や死後の世界、この世界の真理、そういうことを考えすぎると、人は社会に帰属しにくくなっていきます。でも、自分の納得のいくまで知り尽くすと、人生で起こるすべてのことが全く違った見え方をしてきます。

死は怖く恐ろしいものでしょうか。人間、知らないことは何でも怖いものです。
人は死にません。ほんとうの私がいなくなるなんてことは、ありません。私たちが「死」と呼ぶものは肉体の死にほかなりません。そしてそれは、とても幸福を感じることです。「わたし」とは何でしょうか。私たちの体は、本当のわたしでしょうか。肉体と精神は別のもので、ほんとうの私たちは肉体の内側にあるものです。私たちは自然そのものです。本当のわたしは宇宙と同じく、無限で永遠です。それは死をもってしても奪うことのできない尊いものです。人が人生に起きて生きづらさを感じる時というのは、大抵何かに抵抗しているときです。すでにそうあるものを「あるがままに受け入れる」こと。それに抵抗すると、摩擦が生じて生きづらさを感じます。私たちは無限・永遠という概念を理解することができます。そうであるのに、この世界には有限で期限のある事象で溢れています。わたしたちはこれによって「すべては切り離された存在である」と感じやすくなり、すでにそうあるものを拒み、自分の思考にアイデンティティを見出していき、個人、家族、社会、国、地球、全てが負のエネルギーを溜め込んでいきます。今、社会は不安で満たされています。国が多くの問題を抱えていきます。マクロとしての国がうまくいっていないということは、ミクロとしての県が、地域が、家族が、うまくいっていないことを示しています。個人皆が不安を抱えています。でもこれは大きな転換期の前段階です。不安や負のエネルギーがあまりにも大きくなって、何かを変えないととても生きていられないという状態になった時にはじめて人は、この世の真理を知ります。今に打ちのめされて、視点を変えないと生きていけなくなってはじめて、今を受け入れ、全てを手放す勇気を享受します。わたしたち一人ひとりが強く「いま」にあり続けることが、地球全体の幸福に繋がっていきます。自分の思考が本当の自分ではないと知り、常識もエゴも社会のしがらみも全て手放した時に、ほんとうの自分と出会えます。ほんとうの自分は、深海のようで、海の上でどんなに小波が立とうとも、なくなってしまうことはありません。いつまでも、そこに、存在します。過去も未来もなく、「いま」は常に永遠であると理解します。そうすると、時間も物質も、全ては虚像であると気づきます。音は、空間があってはじめて聞こえます。物質は、無の空間があってはじめて、そこに物があると認識できます。その「無」こそが実像なのです。私たちは永遠でないものを通して、無限の存在に気づくことができるのです。時間も、物質も、死も、虚像にすぎません。この実感として感じられる紛れもない「事実」は、どんな憐れみよりも心を満たしてくれます。

肉体の死後の世界は、幸せに溢れています。皆が素の自分でいられて、地球世界では出会えなかったような、心から気の合う人同士が一緒になって、永遠の幸せを感じながら生きています。そこには音楽もあるし、地上世界とそっくりな物質もあります。それらの物質は、それを作る職業の人がいて、作ってくれるのです。質量はありません。肉体も、地上世界の頃の肉体にそっくりなものを纏うことができます。でもその肉体は、生前に障害や病気を持っていた人でも、病気や欠陥は一切ない健康体で、地上時代の肉体より幾分と動きやすいのだそう。そしてそれは実体がないので、物質をすり抜けられます。恋愛は、地上時代のような肉体関係はなく、心から愛する人と再会できる人が多くいます。たばこやアルコールは、亡くなってしばらくのうちは求める人がいるけれど、あちらの世界で配られるたばこやアルコールは美味しくなくて、皆すぐにやめていきます。あちらの世界には、「地獄」なんてものは存在しないのです。地上世界と同じように良い人も悪い人もいて、階層が三段階に分けられており、本当の幸せにまだ気づいておらず、悪事を働く人は最も下の階層に振り分けられ、事実に気がつき、感謝できるようになると、階層をあがっていきます。キリスト教に書かれている死後の世界がいかに誤りであるかがわかりますね。地上世界で高い精神レベルであった人は上の階層に行きますが、彼らは必ずしも地上時代に高い地位にいた人ではないといいます。イエスはとても高い精神レベルをもった神界からやってきた人ですが、私たちは彼の生き様から学びを得ることをせず、彼の死に異様に誇張したキリスト教というおとぎ話を作ってしまったのですね。

「祈り」とは、大きな力があります。それは、「だれかが良いことを運んできてくれるだろう」などというものではなく、「いま」に在り、いまに「感謝」することです。世界中の人が「祈り」を実践して、「いま」に目覚めた時、世界は大きく飛躍するでしょう。

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