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Have toから解放されて生きると、より良い世界が訪れる件

募集にたくさんの方が関心を示してくださり、ここまで数名の方とモニターセッションさせていただきました。まだまだ修行中なので、やりたいこと/Have toの特定やゴール設定は、うまくいくことばかりではないですが、将来を見据えて前向きになれた、とか、モヤモヤが晴れたなど、ポジティブなコメントをいただいています。

セッションを受けてくださった方がポジティブな影響を受けてくださった以上に、クライアントの方の本音の欲求や、その欲求を追求するうえで発揮している才能に触れることで、ものすごくパワーをいただいています。
大げさな言い方でなく、セッション中に興奮して震えています!

本日は、まだ始めたばかりですが、セッションを通じて、欲求に素直に生きる、つまりはHave toから解放されて生きることで、より良い社会が訪れるのでは?と思ったので、それをnoteに書いてみます。
より良い社会が訪れると思う理由は2つです。

①社会にポジティブな結果が残る
②周囲への
(物理的、感情的)ネガティブ作用が減る

①欲求に素直に生きると、社会にポジティブな結果が残る

自分自身の欲求が湧いて行動を起こしてしまうところには、必ず才能も現れます。
関係は逆かもしれません。
才能があって、自然にやれてしまうところには、楽しいからやりたい、という欲求が湧いてくる、というイメージです。

私の場合、ロシア語学習のように、情報をインプットして、整理して筋を通すのが欲求であり、筋を通すために文法体系という言語を学ぶうえでのお約束を俯瞰するのが才能だったりします。これ、才能があるから、難なくやれますし、欲求起点だから、楽しいしかありません。
この欲求と才能は、仕事でも活かせていて、3月まではエネルギー分野の海外の制度、政策に関するリサーチの仕事をしていましたが、これもまさに、

■顧客のニーズ(筋を通すために必要なお約束)に基づき、
■海外の情報をインプットし、
■ニーズに応えられるように、情報を整理して筋を通す


というプロセスでした。
難しいテーマのリサーチもありましたが、楽しくてしょうがないので、時間がかかろうとなんだろうとまったく苦になりません。
結果、顧客に満足してもらえるリサーチ結果がまとめられて顧客にも感謝されるわけで、自分に才能があって好きなことをやっていると、はっと気付いたら、結果として世の中の役に立っているのです。

才能もあって好きなことをやっていたら、気付けば世の中の役に立つって、素晴らしいことだと思いませんか?

私がセッションでお話をうかがったクライアントの方々が、それめちゃくちゃ難易度高いタスク、ミッションじゃん?!ということを、さらさらと、こういうことできたんだよね、と語っているのを聞いていると、もっとストレートにその欲求と才能を爆発させてほしい!!!と強烈に思います。

しかも、それをご本人が才能だったり、好きでやっていることだと認識しておらず、大したことじゃないと過小評価している場合もあります。
これも、めちゃくちゃもったいない!!!、それ社会の損失ですから!!!と思い、強くセッションでお伝えしています。

自分自身のリサーチもそうでしたが、周りからはすごい!と言われるのに、あまりに自然体でやれてしまうので、すごいことだと思わないのでしょうね。
そこに気付いていただくだけでも、コーチの価値はあるのでは、と思ったりしています。

ということで、あらゆる個々人が欲求に素直に生きて、社会にとってポジティブな結果が生まれることになれば、世の中はより良くなると思いませんか??
私はかなり真剣にそう思っています。

②欲求に素直に生きると、周囲への(物理的、感情的)ネガティブ作用が減る

個々人が自分のやりたいことだけ追求して生きていたら、その個人にどういう変化が起こるかというと、他人と比べて自分が優れているとか劣っている、という感覚がなくなることだと思っています。

私自身、自分は歴史、語学、文化といった、世の中に役に立たなさそうなことばかりに興味を持っていたので、社会人としてのビジネス感覚が乏しい、といった劣等感が常にありました。
結果、ビジネススクールに通い、MBAを取ったりしましたが、そこに通っている間中、同期に比べて、社会人が知っておくべきいろいろな知識を全然知らないから劣っている、という感覚が抜けませんでした。

劣等感を解消しようと勉強(インプット)したことは、自分の視野を広げて、仕事の役にも立っていますが、やはり自分の心からの欲求起点でないことなので、大きな飛躍ができているわけでもなく、劣等感は解消されないまま。

劣等感も含めたマイナスの感情は、その人の内部にストレスを発生させるのはもちろん、そのマイナス感情が溜まって爆発すると、その人の外部に影響を及ぼす行動にまでつながります。例えば劣等感にさいなまれた人が、理不尽に他人を羨んでその人に嫌がらせをするなど、世の中の不幸な出来事の大半は、誰かのマイナス感情が原因だと思っています。

でも、自分は自分の好きなことだけをやっていればいい、と思えれば、他人のことは気にならなくなります。
私は、ロシア語を始めようと行動し始めてから、ビジネスに直接役に立たないことばかりに興味を持つ自分を他人と比べなくなりました。
好きでやってるんだから、それでいいじゃん。
それが私、と。

最近コーチングを勉強している中で、よく思い出すのが金子みすゞの詩「私と小鳥と鈴と」です。

私が両手をひろげても
お空はちっとも飛べないが
飛べる小鳥は私のやうに
地面を速くは走れない
私がからだをゆすっても
きれいな音は出ないけど
あの鳴る鈴は私のやうに
たくさんな唄は知らないよ
鈴と、小鳥と、それから私
みんなちがって、みんないい


母が好きで実家に詩集があって、この詩は前から知っていたのですが、自分は自分の好きなことをひたすらに追及する、そんな自分でいいいじゃないか、という心境は、まさにこの詩の最後の一文、

「みんなちがって、みんないい」

という言葉に表されていると思います。

全ての人が「みんなちがって、みんないい」と思える社会は、個々人の感情面でも、その個々人が起こすアクションという物理面でも、ネガティブな作用が発生しなくなって、今よりも、より良い社会になっていると言えないでしょうか。
これも私はわりと真剣にそう思っています。

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