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拉麺ポテチ都知事35「アラフォーの俺とAwich」

渋谷のスタジオにロッカーを借りていて、そこに楽器を預けている。ほぼ毎日同じ様な時間に行くので「そろそろ、あのおじさん来るな」くらいの感覚で思われているに違いない。私もアラフォーの外縁に立ったので、おじさんでいいよもう。

歳を取るということは「面倒くさくなる」ということである。それは悪いことではない。それだけ多層で複雑な文脈を理解できるということで、それを排除した結果に待っているのはポルポト政権下のカンボジアの様な未来だろう。

さて20代の時、スタジオのBGMといえばメロコアをはじめとした邦ロックであった。しかし、おじさんとなった今流れているのはAwichである。前回書いたケンドリック・ラマーやリアーナは自分とタメだが、彼女はひとつ上で同年代として意識している存在のひとりだ。

「これは何かのプレイリストですか?」と話しかけると、女性店員(ロック調な服装)が「普通にAwichかけてます」と答えた。ヤフーニュースに彼女のライブレポートを初めて書いたのは私だと思うが、遂にそんなところまで魅力が浸透したかと感慨深かった。

さらにカラオケで練習していると、またも隣の部屋からAwich「どれにしようかな」を歌う声が聴こえてきた。私は彼女が安室奈美恵に匹敵する才能だと思っていたので、90sのJポップ流通エンジンであるカラオケで彼女の楽曲を聴けたことが感慨深かった。

「いつかJポップもヒップホップをはじめとしたブラックミュージックの影響下に入る」と確信とともに思ってはいたが、いざそうなってみると驚かないものだ。変化とはゆるやかに起き、気付いたらそうなっているものである。

5年前「また小池が何か言ってるわ」だったものは、気付くと「そんなの普通っしょ」となる。東京五輪の開会式で流れる音楽も、シティポップの海外ブームさえも大体予測できた。よーく見ていれば、先に何が起きるかがぼんやーり見えてくる。だが老害マウンティングは、ほどほどにした方がいい。


それはそれとして、文藝別冊「ケンドリック・ラマー: 世界が熱狂する、ヒップホップの到達点 」に収録されているAwichのインタヴューはとても興味深いので読んでほしい。彼女はNワードの使用について私見を論じていくが、そこで白人文化についても言及している。

“白人の真似をするアジア人に対して、白人は何にも言わないんですよ。なぜなら彼らが世界の頂点にいるって当たり前に思っているから。

――「私みたいになりたいんでしょ?」という優越感をもっている、みたいな。

そうそう。白人は自分たちの真似をしたいのなんて当たり前じゃん、と思ってるから。でもやっぱり黒人の中ではシステム化された犠牲者意識みたいなものがまだあるから、「(まねされると)搾取されているだけなんじゃないか」と、そんな思考になっていると思うんです。

(中略)

Nワードも、「これは虐げられてる者たちへのパワーの象徴だから、お前たちも使えよ」って言うくらいに自信満々で黒人が生活できる日が来て欲しい”

文藝別冊「ケンドリック・ラマー: 世界が熱狂する、ヒップホップの到達点 」より

この発言をさらに知名度を得た今彼女が発信できるのかどうか、私自身がNワード使用を支持するかはさておき、こういう骨太な考え方で表現していることについてリスペクトしたい。ただNワード使用が炎上した結果か、大好きな「BoSS RuN DeM」の公式MVは消されてしまった。

例えば広島や長崎の日本人が「原爆を落とされたことのない奴に俺の気持ちが分かるか?」と主張することは可能だと思う。だが必ずしも彼らが今の米国を恨んで生きている訳ではないとも思う。確かに差別されてきた黒人の気持ちは分かるはずもない。だが私がブラックミュージックに憧れるのは、彼らが弱者を代表しているからではない。その苦境をひっくり返して、価値やリズムの裏表をも転倒させた「強さ」「胆力」「創造」にこそ魅了されるのだ。

LGBTQも同じで、ハウスミュージックの出自なども考えれば、私がマイノリティに魅せられるのは、彼らのユニークさと抑圧から解放された時に生じるパワーからである。だからAwichが言うところの「犠牲者意識」を誇張したり、ただ弱者を擁護したり同情するだけの言説は好きじゃない。彼らは敗者ではないのだから。

こんなことを考えつつ、Awichの躍進を見守っている。やはり面倒なおじさんになっているので、いつか20代の若者に「音楽とはねえ」と能書きを垂れるに違いない。でもそれを言わなくなったら、文化の豊饒さや歴史は失われるだろう。キャンセルカルチャーとしてのフランス革命に対するカウンターとして保守主義が立ち上がったのはよく分かる。もはや我々が何かをゼロから始めるなんて不可能だ。ただ自分が進歩し続けないと、新たな世代からリスペクトされることもない。

にしても、カッコいい大人とは?

永遠の課題である。でもそれを求め続けなかったら、私はある未来の時点で容易にキャンセルされて死ぬだろう。

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