見出し画像

治療と私➁いくつか通院してみていた時期

皆様、こんにちは。河村尚弥です。

職場近くの病院にいくつか通院してみるが、効果がなく…

その後、私は実家から100キロ離れた街にある児童養護施設に生活指導員補助として勤めました。
その頃も症状は激しかったです。

一つよかったことは、近くに病院がたくさんありました。しかし、なかなか回復へは向かいませんでした。

あるクリニックに三ヶ月くらい毎週通いました。医師は穏やかな方でにこやかに15分近く話を聞いてくれます。
終わると待合室まで一緒に歩き見送ってくれますがそれだけなのです。全く何もアドバイスはありませんでした。

その時期、症状は悪化していくばかりでしたから、病院を変えました。

次の医師は私の症状を聞く度に頭を抱えてしまいました。私は何も言えなくなってしまいました。特に具体的なアドバイスはありませんでした。

ある医師は、一通り症状を聞き―といっても5〜6分ですが―「気にしなければいんだ!」と怒鳴りました。

評判のよい先生に繋がりました。公立病院の院長職を退職されたそうで、そちらの病院では名誉院長をされていました。
一年くらい必死に通いました。そうして私は「先生、カウンセリングをお願いしたいのですが」と伝えました。
先生は「カウンセリングしています」とおっしゃりました。
毎週、30分話を聞いてくださっていたのですが、それがカウンセリングだったとは気が付きませんでした。症状は後退するばかりでした。

お薬も当時、医師に知識が不足していて、強迫性障害に有効な薬は処方されていませんでした。

自分でもなんとかしようと思い、神経症の自助グループにも通いましたが、人前で手が震えるといった書痙の回復者の会社役員の先輩会員に「しっかりと働かなければよくならない」と見当違いのことを言われて通えなくなりました。

独学もしましたが当時、強迫性障害の本はまだ日本にあまりなく、苦労して読みました。

職場に行かれない状態に

ある日、朝、仕事に行こうとして寮の部屋に鍵をかけようとしました。鍵が不潔に感じ触れなくなってしまいました。しかたない、鍵はしなくてもいいやと思い、一階の玄関に行きました。

今度は、自分の靴箱が触れなくなりました。
外履きに履き替えられなくなり、朝礼に行けなくなりました。職場に電話し通院させて頂くことにしました。

読んでくださりありがとうございます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?