見出し画像

「政治家の酒癖」酒を飲みそうな外見の人は本当に飲むのか

昨年(2023年)、『政治家の酒癖』(平凡社新書)という本を出した。出版不況の中、「酒」という、これまた向かい風10メートルくらいのテーマで書かせてくれた版元には感謝しかない。「酒を飲もうが飲むまいが、酔っ払おうがそうでなかろうが、人間なんてしょーもない生き物です」がコンセプトで、古今東西の政治家の酒癖を調べた。紙幅の都合で割愛した2人のビッグな政治家についてここで紹介したい。


これだけの貫禄がある人はなかなかいない。北朝鮮の第二代最高指導者であった金正日(1941-2011)を初めて見たときの感想だ。

よくもわるくも、昔の政治家っぽい。政治家っぽいとなると当然、めちゃくちゃ飲みそうなわけであるが、北朝鮮というお国柄かはっきりしない。
ちなみに、酒造ブランドのヘネシーによると、総書記は90年代の2年間、コニャック「へネシー・パラディ」を世界で最も個人で多く購入していた人物だったとの情報もあるが、もちろん、本人が全てを飲んでいるとは限らない。

1997年に労働党総書記になった当時の報道をひもといても、酒癖どころか、金正日の素顔は見えてこない。

「他国の使節や外国メディアとはほとんど会見していない。国外に提供されるテレビ画面でも肉声はなく、素顔は厚いベールに包まれている」

「世界で最もその素顔や言動が秘密のベールに包まれている指導者の一人だ。外交使節や外国メディアとの会見がほとんどなく、ごく少数の身近で接した人々の評価も『親孝行で思いやりがある』『短気で気まぐれ』などと二分される」

いずれも1997年10月9日の日本の通信社の配信記事だ。このような断り書きを書いた上で人物評が始まるわけだが、読んでいる方は「ベールに包まれている」と戦闘意欲ゼロの書き出しから始められたら、何もわかるわけがない。ただ、これは日本のメディアに問題があるわけではないようだ。

 ウォール・ストリート・ジャーナルは金正日の死後にこう記している。

金総書記が軍事基地や企業、文化イベントに訪れた際の写真は数多く目にするが、動画はほとんどなく、音声が国外で放送されたことは一度もない。北朝鮮国民自体、総書記の音声が放送されたのを聞いたのはわずか1度、1992年に党大会で「勇敢なる北朝鮮軍に栄光あれ」と語ったときだけだ(2011/12/19 ウォール・ストリート・ジャーナル日本版)。

つなぎを着て露出を抑えることで神秘性は増すが、文字通りベールに包まれたまま。結局、死ぬまで、素顔はわからないままだったのだ。

もちろん、酒豪がどうかもよくわからない。「金正日は「酒量は度量だ」が口ぐせといわれた」との人物評もあったが、「いわれた」とあくまでも伝聞調なわけだから、もしかしたら、ウルトラCで下戸かもしれないと思っていた人もいただろう。

公式に酒豪ぶりを見せつけるのは2000年以降だ。このころ、金正日の露出は突如増える。南北首脳会談の開催が決まったからだ。それもそのはずだ。1948年に朝鮮半島が南北を二分して以来、両国の首脳が会談するのは初めてであり、歴史的な出来事であった。

そのため、南北会談を前に、周辺が騒がしくなる。
南北会談を控え、開かれた中国の江沢民主席との会談では、金総書記が「かつてはヘビースモーカーで酒豪といわれたが、今は禁煙し酒もたしなむ程度にしている」と述べ、最近の生活の様子をのぞかせる一幕もあったことがNHKニュースで報じられる。

これもすごい話である。会談は非公開なので、日本のメディアは見ていない。北京の韓国大使館が、日本の記者団に明らかにしたものなのだ。
そして、韓国大使館も同席したわけではなく、中国外務省から会談について説明を受けた情報だ。考えれば考えるほど衝撃的だ。
「最近、俺、飲んでないんだよね」と話したのが又聞きの又聞きで国際ニュースとして配信されたのだ。それほど、金総書記の実態は謎に包まれて
いて、世界の要人との接触も限られていたのである。

そして、2000年6月14日の南北首脳会談の当日。ついに金正日の飲みっぷりを世界が目撃する。

場所は北朝鮮の平壌市内の百花園迎賓館。南北の閣僚らが見守る中、韓国の金大中大統領と並んで、署名簿にそれぞれサイン。その後、両首脳は笑顔で固く握手し、シャンパンで乾杯する。

読売新聞は当日の金総書記の姿をこう報じている。

「金正日総書記は一気にのみほし「酒豪」の噂を裏付けた格好だ。」

おお、一気飲みだぜと目を見張ったのだろうか。

やっぱ飲むんだと感心したのかもしれないが、この情報は要るのかと感じてしまうのは私だけだろうか。そりゃ、政治家だったら酒も一気に飲み干すこともある。こんな歴史的な日のニュースが酒豪っぷりって。

この日は金総書記だけでなく、みんなガブ飲みしたらしく、後日、同席した韓国の朴智元観光文化大臣がこう振り返っている。

南北共同宣言に署名した後は、韓国の焼酎と北朝鮮のビールを混ぜた「焼酎爆弾酒」を作り、杯を交わした。酒豪で知られる朴氏は七杯も飲み干し、翌朝は五時に起きてジョギングをしたため、北朝鮮要人らが「鉄人だ」と驚かれたという。南北会談の翌日にジョギングしなくてもいいのではなど突っ込みどころは満載だが、歴史的会談を無事に終えて興奮していたのだろうか。

 実際、この会談に臨むに際し、韓国側は気が気ではなかったようだ。
朴氏によると、韓国側は訪朝してからも(1)金正日総書記が首脳会談に出席するのか(2)共同宣言に金総書記が署名するのか(3)故金日成主席の関連施設への参拝を強要されないか、の三つを懸念していた。
 特に故金主席の遺体が安置されている錦繍山記念宮殿は、金大統領らの宿舎となった百花園迎賓館の近くにあるため、金大統領を乗せた車が突然、記念宮殿に向かわせられないか常に不安を募らせていた。
 これらが杞憂に終わったこともあり、がぶがぶ爆弾酒を飲んだにもかかわらず、翌朝、ハイテンションのあまり、ジョギングしてしまったと考えると納得できる。
 余談だが、爆弾酒はウイスキーをビールで割る酒の飲み方で、韓国では今でも珍しくない。危険極まりない飲み方に映るが、韓国流の飲み方は爆弾酒に限らず危険だ。
 例えば焼き肉。酌をかわしてかなり大きい杯で焼酎を乾杯して回しのみする。乾杯するや瞬時に空の杯が目の前に差し出される。こちらも飲み干して回さねばならないが、ためらっていると、杯がどんどん回ってくる。ペースを上げざるを得ず、肉を食べるどころではなくなる。
 韓定食というフルコース料理のときは、ビールやウイスキーが多い。ウイスキーの場合、事情はしょうちゅうと同じだ。ストレートの乾杯グラスが次から次に回ってくる。ビールは気づいたら爆弾酒に移行する。ご飯を楽しむというよりも酒を飲みたいだけだろうが、こんな飲み方の影響か、肝臓がんでの死亡率は韓国が世界一だ。いずれにしても、無傷で帰れる気がしない。そもそも無傷で帰るつもりがないようにしか思えない飲み方だ。
 話がそれたが、2011年、金正日は急死する。権力を継承したのが金正恩だ。彼は父親と違い、超ド級の酒のエピソードをいくつも残している(つづく)。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?