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続・温泉での気づき ~生きるとは何か~

前の日に、温泉で浮くということを通じて
自分の中にこれほどまでにたくさんの怖れがあり、
怖れを中心に人生を構成していたということに気がついた。

前回はこちら

実はこのときの温泉。

肌があれてアトピーのようにただれてきたため、湯治にきていたのだ。
なので、1日に10時間くらい温泉に浸かっていた。そのときに、怖れに気がついたのだ。

翌日のこと。
湯治の朝は6時から始まる。しかしなぜか、この日は起きれなかった。
10時間も修行僧のように温泉に浸かることに、何か違和感を感じたのか。よし、今日は無理せず、「入りたい」と感じた時だけ入ろうと決めた。

朝は7時過ぎに入浴スタート。その後朝食を食べ、12時くらいから1時間ほど入浴した。すると、なぜかふと「散歩に出たい」と心の声が聞こえてきた。もう、心の赴くままに行動してみるのだ!ということで、湯治場から少し離れたところまで歩いてみた。

昔、一度は歩いたことのある道。
「○○公園・・・そんなのあったっけ?」
看板を見つけたので、その公園まで歩いてみることにした。

ところが。

公園は見つからない。
う~ん。帰ろうか。しかし諦めたくないな。
歩いていると、川の方へ下っていける道を発見した。

「よし、いってみよう」

予想どおり、川まで降りることができた。
ちょうど草履を履いていたので、ちょっと川に足をつけてみることにした。
一級河川だったので、広いし景色もいい。水かさも足をつけるにはちょうどよく、川の流れも心地いい程度だった。

「あ~~~、きもちいーーーーー!」

と、その瞬間!!

突然、背中に水がバサバサとかかる感覚がした。
なんだこれは!?!?何がおこってるんだ??

後ろを見るに見られず、頭を使って考える。
そうだ、後ろには滝(人口の段差?)がある。
ここに強い風が吹き付けて、水しぶきが飛んだのかも??

どうやらそのようだ。
まだまだしぶきは飛んでくる。
すでに背中はびっしょりになってしまった。

笑ってしまった。
なんだこれは(笑)

もう、いろんなことがどうでもよくなった。
暑い日だった。
よし、この川でも寝そべって浮いてみよう。
さすがに浮けるかは分からないが、温泉と同じように。

やってみた。仰向けで寝そべってみたのだ。

冷たい。。。
空は真っ青だ。
水をすくって飲んでみたが、うまい。
川の端では、水面にトンボが何匹もとんでいる。
水の一部には小さな魚の姿が見える。
風にそよぐ竹。葉っぱが川に落ちてきて、流れていく。
川の向こうには大きな山。
なんとなくモヤのかかった、広大な森林の景色。
水の流れる音。
耳を水につけると、また心地いい音がする。
太陽の光があたたかい。

どこまでも、どこまでも心地よかった。
あまりに幸せで楽しかったので、

「あーーーーーーーーーー!!!」

と腹から声を出して叫んでみた。
たまらない喜びが湧き出てくる。
もちろん周りには誰もいない。

もう一度寝そべってみる。

少し、身体が緊張しているようだ。
怖いのか?そうだ、怖い。
ここは自然。周りには誰もいない。
川上から何が流れてきても分からない。
ハチやクマが来るかもしれない。ヘビもいるかも。
水で身体が冷えて死んでも誰も気がつかない。

いろんな怖れがある。
怖い。
でも、力を抜いて、地球に身体をあずけてみる。

・・・

なんとも心地いい。

今度は座って景色を眺めた。
そうか。
生きているということは、こういうことだったのか。

生きるということは、
仕事をすることでも、
お金を稼ぐことでも、
同じ場所に通うことでも、
同じ場所に住むことでもない。

生きるということは、
こうやって感じられるということなのだ。

人生は、完全に自由なんだ。
いまどこにいようが、なにをしていようが、
本当は誰にも迷惑がかからない。
自分を生きるだけで、
むしろこの自然たちは喜んでくれるだろう。
なぜなら、僕の心がよろこんでいるのだから。

こんなにも、自由だったなんて。
こんなにも、鮮やかだったなんて。

これまでの人生の囚われが、一瞬ですっ飛んだ。
人間は、こんなにも豊かで幸せを感じて生きることが誰しもできる。
それを確信した。

がんばる必要はない。
ただ、必要な分だけは食べないといけないかもしれないが、
それ以外は。自分らしく生きればよいのだ。
こんなにも、世界は自由なんだから。

__

僕の人生で指折りの衝撃的な出来事だった。

まさか湯治にきたのに、
川で濡れて、川につかって、びっしょびしょになるなんて。

あのときの突風がなかったら
僕はこの気づきを得なかったかもしれない。

正直、湯治の効果よりもこの時の出来事の方が
後の人生に影響するなと思った。

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