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チームビルディングのコツ「同じ活動=同じ成果?」

どんなアクティビティを選ぶかはチームビルディングで超重要

普段、体験型学習のチームビルディングや信頼関係作りのプログラムを実施している時の事。

どんなアクテビティを選ぶかというのは極めて大きな影響がある。
参加者の体調や今置かれている状況や立場、その集団が目指そうとしている方向など…様々な要素を考慮しながら選ぶ事になる。

プログラムが始まる前に全く白紙の状態でやってくる事はない。けれど、ある程度固めて作ってきたとしても当日違う事を選ぶというのは本当によくある。

なぜなら、参加者に合っていないアクテビティを行ったとしても「何も起こらない」からだ。

参加者の何かをゆるがすチョイスが必要

その人の心の中に火がついたり、氷がとけたり、新たな息吹が感じられたり…こういう「何らかのゆらぎ」が起こって初めて体験が今に生きる何かに変わる可能性がある。

体験型学習というのも究極的には、「一旦何かを体験させられる」という事から始まるから、「体験したね…はい、終わり!」では意味がない。

「ゆらぎ」とは?

例えば、あるアクテビティを行った結果「すごく楽しい!」という気持ちが表れたとする。これはここで言う「ゆらぎ」に該当する。

また、「何かわからないけどすごくホッとする気持ちが出てきた」というのが出てきたとする。これもまた「ゆらぎ」だ。

簡単に言うと、体の内側で感情や感覚の変化が起きて、その波を自分で拾えたら「ゆらぎ」が起きたと言える。

そう言うと、もちろん「おもしろくなかった」というようなどちらかというと明るくない気持ちの時だって「ゆらぎ」が起きたと言える。

ふと思ったけど、人によってはむしろ「ゆらぐ」という言葉はネガティブな時に使う言葉かもしれないな。

さてさて、それはともかく…。
どちらかと言うと、ポジティブに自分で気持ちを追いかけたくなる「ゆらぎ」が起きる事を期待したアクテビティのチョイスをする事が多いが…ネガティブなゆらぎだって全然構わない。

起きた「ゆらぎ」に注目していくと自分自身で見えてくるものが色々ある。それを言語化したり、行動、表情、態度、絵や声…などに表していくことで様々な発見や気づきが起こる。

「何も感じない」という反応

すっごく全体的な意味で「今何を感じていますか?」と問われた時に「何も感じない」という答えは言葉としてはあっても、「本当に何も感じていないという事はあるのだろうか?」というのが今の自分の考え。

けれど「この活動を通して何を感じましたか?」というような問いに対して「何もこれといって…」という反応はアリうる。自分も思う事だってある。

これは「ゆらぎが起きていない」という事になる。ゆらぐものが何もなければ、これと言って自分から注目しようと思ったり追いかけてみようと思うものは何もない事になる。

これでは、次のアクテビティに移っていったとしても「体験から何かを拾おうとする」というよりは「次々と体験させられているだけ」になってしまう。

こういう事が参加者の間で起きてしまうようではいけない。

万能なアクテビティは確かにあるけど…

様々な方々やチーム・集団との出会いの中で磨かれてきたアクテビティの数々。一度自分なりにまとめてみようと思ってデータベース化してみた。

そうすると、毎回のように行うものや「鉄板」と言えるアクテビティは確かに存在する事が分かる。

けれど、あくまで今出会った集団に対しては「万能」であっただけで普遍的なものではないなというのが実感。

これまでで言うと、「小学生中学年以上の全年齢」が対象となるアクテビティはたくさんある。けど、それより小さい子たちが中心になる場合はもっともっと研究が必要だなと思った。

「どんな活動をするか?」に集約されるんだけど…それよりもその年齢の子たちがどんな性質を持っていて、何に興味を持ち追いかけようとするのか…そういう事が知りたいなって思った。

チームビルディングや信頼関係作りのプログラムの特性上、人それぞれが持つ「他者への興味関心」とか「他者との関わりの中で喜びを見出す」みたいな部分が「ゆらぎに影響するか?」というのはとても大きな影響を持つ。

あくまで体感上だけど、これは10歳前後くらいから大きくなってるものなのかもしれないなって感じる。それまでの子たちは「自分の楽しみ」とか「自分が今どうか?」みたいな部分が中心になっているように感じる。

これらはあくまでとても多くの子たちと関わる中で感じている個人的な実感ではあるが、この傾向を意識したアクテビティチョイスというのはより重要度が上がってきたな〜という思っている。

同じ活動が同じ成果を生み出すわけではない

と、後半は特に幼少期の子たちの話しになってしまった。
言いたい事は、どれだけ万能なアクテビティがあったとしてもその人達に合っていなければ「ゆらぎ」は起こらないという事。

「ゆらぎ」が起こらなければ、そこから導きだす気づきや学びが生まれない。当然、普段の生活に転用できる具体的な何かなど生まれるわけがない。

最後になってしまったが、自分自身がチームビルディングや信頼関係作りを行っていく時は「何か具体的項目について教える」わけではない。
そうした何かに気づくように促す(ファシリテートする)機会を設ける…みたいなのが正しい。だから単純に「やってみましょう」→「やってみた」の繰り返しではなくて、「(やってみたから)感じた事は何か?何が起きたか?」というような事をみんなで共有し振り返ったり、内省する中で自ら学びを導き出す事が必要になる。

そういう事がしやすくなる年齢というのは間違いなくあるよな〜って話。
あるいはどんな年齢でも可能だけど、どの程度まで深堀りできるかはやっぱり年齢の影響って大きいよなって話。(あくまで年齢というのは1つの目安ででしかないけどね)

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