若さゆえの過ちが無くて良かった
皆さんは太宰治の書いた傑作「人間失格」を読んだことがあるだろうか?
簡単にAI様に要約してもらったので一応乗せておこう
太宰治の『人間失格』は、主人公・大庭葉蔵の内面と人生を描いた物語です。葉蔵は、幼少期から他者との関わりに違和感を抱き、自分が「人間失格」であると感じながら生きています。彼は、人との関係を築くのが苦手で、その不安や孤独を隠すために、仮面をかぶって明るく振る舞います。
しかし、彼の心の内には深い孤独と自己嫌悪があり、次第にその苦しさから逃れるために、アルコールや薬物に依存し、女性との関係に溺れていきます。葉蔵は自らの堕落を止めることができず、次第に社会から孤立し、精神的にも追い詰められていきます。最終的には、完全に崩壊し、自分自身を「人間失格」として認めざるを得なくなります。
この小説は、太宰治自身の人生や内面的な葛藤を反映しており、自己崩壊と絶望をテーマにした深い人間ドラマとして評価されています。
まぁ概ねこういった内容だ
僕自身がこの内容にとてもふさわしい人間だと思っている
まぁ失格なのだけれど
依存
僕は元々何かに依存する性質らしい
今はもちろんアルコール依存だし、カフェイン依存でもある
彼女がいた時はもちろん依存していたし、今も何かに依存していなければ生きてさえいけない
ODももちろん依存だろう
入院前は痛み止めを過剰に飲んでいたし、自殺未遂の時もODプラス自傷だった
自傷にも依存しているのかもしれない
タバコもある意味では依存行為であり自傷行為だろうとも思う
止められないどころか増える一方だ
他に、感情の行先が無いのだから、仕方がない
女性関係に関してもそうだ
半ば性依存に近い状態になったこともある
依存体質はまぁ、治らないんだろうなと思う
重ねてみてる
社会から孤立しているのもその通りだし、自己嫌悪もその通りだ
僕は、まさに人間失格なのだろうと思う
いやもしかしたらそれ以上かもしれないとさえ、考えている
僕は食事が苦手だ
味がいまいち分からないからだ
いや、分からないわけじゃない
理解できない
例えば、苦いとか甘いとか、しょっぱいとか辛いとか
そういった味覚は正常に働いている
けどそれが「美味しい」に繋がることはない
美味しいが何なのかが分からない
最近悪化してきていると感じる
もちろん人前でそんなことは言えないから、隠しているけど
それもまた人間失格の主人公と似ていて、仮面を被るように毎日を生きている
嘘を重ねるだけのこの生き方に、果たしてどんな意味があるんだろうか
反出生主義とはちょっと違う
僕は今心底ほっとしていることがある
嫁さんも子供も、欲しいと願ったことがないことだ
何人かと付き合い、結婚の話が出たこともあったけど
踏みとどまっていて正解だと今でも思っている
そうでなくては今の状態では誰も守れない
だから最初から守る対象がいなくて、正解だ
きっと守る対象がいたとしても、僕は病んでいるだろうから
子供に関してはもっとそう思う
とはいえ僕は反出生主義ではない
別に誰が子供を作ろうが、知ったことじゃないからだ
ただ単に、僕が、僕の遺伝子を一片たりとも残したくない
そう考えているだけだ
これは結構昔から考えていることでもある
いつからか分からないけれど、少なくとも学生の頃にはもう絶対に子供だけは作らないと心に決めていた
実際、子どもがいないのだから正解だ
若気の至りと言うか
若さゆえの過ちが無くて、本当に良かった
終わりだけが見えてる
もう僕にこれ以上することは何もない
いや、何もしてはいけないのだろう
だって人間失格なのだから
社会に出ることすら害悪だろう
ただ静かに、消えるように、死んでいきたい
死ぬことだけは、絶対に信じられることだから
ゴールが見えているんだ
これ以上幸せなことは他にないと思う
あとはもう、終わるだけ
なんて、素晴らしいのだろう
ただ
「私は恥の多い生涯を送ってきました」
そう思うだけだ
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