僕と拠り所③後輩 後編

目を覚ますと、黒く艶の出た大きな柱と宮大工の思いが込められた幾重にも重なる柱が目に入る。

疲れが抜けない身体の重さに呆然と瞬きを繰り返すことしかできない。

遠くの方で、母親の謝る声が聞こえる。その大きな襖の向こうに耳を澄ますと、足立と足立のお父さんの怒鳴り声が聞こえた。

身体の傷のこと、過去に偽物の父親から付けられたアザやタバコでの火傷の跡に足立家はご立腹のようだ。
あまり自分では気にならないが、他人から見れば痛々しくうつるのだろう。
母親も俺を育てるために必死だったんだ。
俺よりもずっと辛いことを経験しただろう。
俺を殺したいと思ったこともあっただろう。
それでも、俺を守ってくれて、ここまで成長出来た。
この人生がなかったらミチオとも出会えてなかった。
かけがえのない人生だよ。

そう思いながら重い体を起こそうとした時、ふと違和感を感じる。

四隅に塩と榊があり、白衣を着た俺の体からはひどくアルコールの匂いが漂っている。

「木こりやっと起きたね…」

顔を襖とは反対の方へ向けるとそこには私と同じように神具に囲まれたミチオがいた。

「ミチオ…これは…」

「はははっ!浄化ってやつらしい!」
ミチオは笑顔でそう微笑むが俺の心がどんどん激しい痛みに襲われる。

「そうだあの後、俺…うぁーーーーーーーーー、こっから出せーーーー」

疲れて体が動けないのではない、俺とミチオの間に見えない壁のようなものがあり、俺自身にもその壁のようなものが張り付いているのだと気づくのに時間は掛からなかった。

このままだと、ミチオとの関係を絶たれる。
そう思うと体が勝手に動いたが、その力の前には無駄な抵抗だった。

襖が開いてバタバタと足立達が入ってくる。

「木こり…これは一体……」

「お母さんこれは木こりくんにとって必要なことなんです。」

「先輩…これはしょうがないことなんだ。」

3人は心配そうにこちらへ駆け寄るが、私からはとても憎く見えた。

「ここから出してくれ…こんなのおかしいよ!はやくここから出してくれーーーー」


「おい、早く済ませるぞ。」
「父さんわかった。」

そういうと2人は私の母親を部屋の隅にあった座布団に座らせ再び戻ってくると、今までに聞いたことのないお経のような言葉を口を揃えて唱え始めた。

「木こり…お別れかもね…」

「嫌だ…ふざけるな…こんなのおかしいよ」

こんなに別れがすぐにくるとは思わなかった。
ずっと一緒にいると約束したのに。

俺たちがどんなにおかしな関係でも、悪いことなんて一度もしたことない…ただずっと一緒に居たかっただけなのに…

ミチオの姿が薄れていくのをただひたすら見ていることしかできなかった。
俺は一生こいつらを恨むだろう…
そしてこれからはもう無理して学校行くのも笑うのもやめよう。

そう思うと俺の胸から赤い糸のようなものがスルスルと出てくる。

それが胸の上でぐるぐると周り、塊を作ろうとしている。

その時だった…

「まずい…父さん…これって…」

「良いから続けるんだ!」

そういう2人の後ろに1人の老人が立っている。

「まーんず、この不届き者目が!」

「じ…じいちゃん?」
「お父…さん?」

「この2人を何だと思っとるんだ。この馬鹿者ども。」

「……主人様……」

「ミチオ?」

ミチオの顔から涙がこぼれ落ちる。ボロボロと頬を伝うそれは結界の中でゆらゆらと漂う。

「お前さんの思いがわしとミチオを繋げたのじゃ」

この人はミチオが言っていた飼い主…

「…これは一体…何が起こってるんだ。」

「ああ?聞こえんかったか?お前さんが呼んだんじゃろうに…」

「俺が?」

「主人、会いたかったです。ずっと…」

まず落ち着きたまえと、経のようなものを唱える2人に指を向けてそれを横へとなぞると、2人の合掌が解け口が接着剤で固められたかのように動かなくなった。

「みんな…なーんも知らんのじゃ…なーんもな…」

お爺さんが語り始める。

「あれは…わしが土地がらみで揉めていた日のこと…山の祠を潰すかどうかの話が出ていてな…わしは毎日、祠の様子を見に行ってた。ある日、その祠に1匹の狐が倒れとっての…弱っていてかわいそうだったから家に持ち帰って世話をすることにした。
その時にミチオと名付けたんじゃ。
犬と言っては失礼だが、首輪をつけて毎日わしの後ろについてくる様になっての〜、そりゃう〜んとめんこくてな…
ある時祠の周りを散歩していると祠の孔子の奥の中身がなくなっていることに気がついた。
大体のことはわかってたさ…
ミチオがそこに祀られていたこと、そしてわしら先代が守りついだこの土地を手放し、自身から神の役目を終えたこと…
そして忌み地であるこの山が怪異で染まること。
わしら村もろとも終わらせようとしたこと。
全て人の欲のせいで神に裏切られた。
代償じゃよ。
そして祠が壊され山が剥げた時、結界が切れ次々に作業員を怪異が襲った。
それを最後まで反対していたわしはそれでも人を助けたくて山に入ったのじゃ。

だが、わしも1人の人間あっという間に飲み込まれてしまった。
ミチオがきた時にはもうわしも生きられる状態ではなかった。
それをあんなに小さい体で家まで運んだ時は嬉しくて、情けなくて、涙が出たよ。」

クーンとミチオは涙を流しながらお爺さんを見つめていた。
その姿は完全に狐そのものだった。

「息子がそれに気づいて駆けつけた時にはもう、既にわしは死んでいた。
そりゃ隣にミチオがいるんだ…お前もミチオが殺したと思うのは無理もない。
それで親戚一同はミチオを殴り、蹴り、生きたまま地元の小学校にある大きな銀杏の木の下に埋めた。
最後に…最後にミチオがしたことは…
それでも…人を守ったのじゃ。
山全体に最後の力で幾重にも重なる結界を貼り、その怪異を二度と現れぬよう鎮魂させた。
人間が好きだったということじゃろうな。」

何がなんだかわからないがとめどなく涙が溢れてくる。
こんなに胸が痛くなったことはあっただろうか。こんなに人の欲を憎んだことはあっただろうか。

「あっ…うあーーーーーー」

体の中から出てくる赤い糸が途切れひとつの球体として俺の胸の上でぐるぐると回っている。
激痛と共にその球体は私の左腕の動きを自由にした。

「それから時は過ぎミチオはある1人の少年と出会った……こんなに純粋な人間はいるだろうかと、人の欲で不幸せになる人間がいて良いのかと…そして…再びミチオは目を開けた。
学校では誰にも相手にされず、家でも暴力と愛と憎悪が止まらない。こんな子は初めてみよったぞ。
なぁ、ミチオ」

ミチオは狐の姿のままこくりと俺を見て深くお辞儀する。

「神の目覚めじゃ。
守りたいと思う気持ちと、お前さんの縁が2人を繋いだ。」


赤い球体がゆらゆらと体の隅々を通るたびに体が自由になっていく。

「いけない…このままでは!」
足立のお父さんが足立を抱きかかえた。

私の母親はいつからかばたりと倒れ泡を吹いている。

「ミチオが神としてお前さんを守る。
そしてお前は神の祠…………

拠り所となるんじゃ

お前さんらは今、祠を払おうとしたな。
けしからん…
本当は……」


「ミチオを離せ……」


「祠の方が守る力は強いのじゃ。
そして…」


「ミチオこっちにくるんだ!」


手のひらで回転する赤い球体がミチオの方へと飛んでいくと、見えない壁にぶつかる。
その回転は止まることを知らずに結界を押し進むとぐわんと壁が形を変えてドロドロと崩れ落ちる。

「ありがとう木こり」

狐の姿から美しい金髪が生え、人間の体へと戻っていくのが見えた。

俺の左腕には赤い球がぐるぐると回転して戻ってくる。

「拠り所は…」


「ミチオと」
「木こりに」
「手を出すなーーーーーー!」



「時として神よりも強くなる…
じゃから…神と祠に結界を張るなど…
貴様らも所詮臆病な畜生ぞ……」

「まさか……あれを彼らはもしや……」

足立のお父さんが驚いてこちらを見つめている。

「俺たちが、何をしたっていうんだ…」

「悪徳なんてした覚えはないけどさ…君達からしたら恐怖だったのかもしれない。本当にごめんよ。」
そう言って足立たちの方へ向かう。

「来るなー、私たちに…近寄らないでくれ…」

「いや…無理だよ…なぁ足立…」

「はい…?先輩?…ごめんなさい…」

涙目の足立に、優しく問いかける。

「違うくて、お前やお前のお父さんは今まで勘違いをしてたんだよ…俺たちをこうしたのも無理はない………なんて言ったらいいか……ごめんなさい」

うううっと足立は泣き崩れた。

「ええじゃろこいつらはそこまでの力は使わん…お前も多めに見ておけ…」

「父さん…しかし…」

そう足立のお父さんが言いかけると、おじいさんの姿が薄くなっていくのが見えた。

「もう時間じゃ…あっちでまっ…」

「クーーーン」
ミチオがおじいさんの所へ駆け寄る。

「なんじゃ」

「あの………行かないで…」

「無理じゃ、わしは死んどる…」

「あの…」

俺は赤い球を見て願う…

「ミチオの……足立のおじいさんを…生き」


「これ…それはダメじゃ…言ったところでお前らの存在が無くなるだけ…わしも戻らん…」
知ってはいたが悔しさが心の中を埋め尽くす。

「俺はミチオに助けられてばかり…お返しがしたい…」

「それでも無理なんじゃ…話がわからんやつめ…」

「だったら…………ミチオ…言いたいことあるなら伝えなよ。」

「………ッ」

ミチオが泣いているところを見るのは初めてだった。

「主人……僕は」

そこには首輪のついた狐が白髪の小太りなおじいさんに擦り寄り、頭を撫でてもらってこれまでにない、ミチオの幸せそうな顔があった。

「なんじゃーミチオ…」
そうおじいさんは優しく問いかける。
「僕は…僕は…」

ミチオの姿が人か狐か交互に反転している。
その顔はどちらも、嬉しそうだけど悲しい表情をしていた。

「助けられなくて、ごめんよ。」

「飲み込まれとったからの〜」

「でも…ごめん…」

「お前がきてくれただけでもわしは嬉しかった。」

「うん……ッ」

「ほら…そろそろ時間じゃ。拠り所へ戻らんか…」

「嫌だ…」

「ミチオ…」

「嫌だったら…嫌だ。」

「お前がそう言ったらあいつはまた1人になる。」

「……ッ」

「ミチオ…お爺さんと居たいのか…居たいのなら…」

咄嗟に言ってしまった。
ほんとは嫌なのに…ずっとそばにいて欲しいのに…でも、こんなミチオの顔を見ることが辛くて嫌だった。

「木こり…嫌だ…君とも離れたくない。」


「じゃろう…しかしながら…選ばないかん。」

お爺さんは私の顔を見てこくりと頷く。

私の苦しみで埋め尽くされた心の中から溢れてくる涙をボロボロとこぼしながら左手の赤い球をミチオに向けて言った…

「ミチオ時間だ…俺のところに戻ってこい…」

「嘘だ…」

「それじゃ!また!元気でな!ミチオ!」

おじいさんの後ろの空間が歪み、黒い穴が空いた。ミチオを俺の方に投げると、その空間に引き摺り込まれた。

「ミチオを頼む。」


「最初から…ミチオはずっと俺と一緒だって約束したんだ!」


「なら…安心だな…」

「あぁ…あっちで俺らが行くのを待っててくれ。」

本当は、涙と共にひしゃぐれる声はちゃんと喋れていたかどうか、わからない…
お爺さんは最後に俺に笑顔を残して消えた。

「……ッ」

「ミチオ…ごめんな…」

「……ッ」

「木こりの馬鹿野郎…」

「お前も辛かったんだな…ほら…今はこうすることしかできないから…このままでいいんだ…」

そう言って、ミチオの後ろから両手を回し、抱きしめることしかできなかった。
そしてだんだんと左手の上で回っていたものは私の中へと戻っていった。

「木こり…先輩…あの…俺…」

「いいんだ…気にしないでやってくれ…」

広い本道に、啜り泣く声が響く静かな時が流れた。


後日………

ミチオと共に通学路を歩く。

「先輩!おはようっす」
その声に振り返ると後ろからカラカラと自転車を漕いで眠たそうに目を擦る姿があった。
「足立かぁ。おはよう。」

「足立くん!今日もいい天気だね!」

みんながすでに通った後の道路を3人で歩く。

「あっそーだ先輩のクラスにやべー奴いました。水子の霊がたくさんついてたんで払っといたっす!」

「そうか…俺には見えないし、どーでもいいことだけど…ありがとな!」

「はい!困った時は言ってください!すぐ駆けつけますから!ミチオも先輩が何かあったら俺を呼んでね!」

「おかしいなw僕1人でどうとでもできるさw」

「あっそうか…」

「…だな!」

ほんの少しだけ、登校時間に楽しみが増えた。
人はみんな辛いことを抱えている。
その中でほんの少しの温かさに出会えたのならそれを幸福と呼べるだろう。



タッ、タッ、タッ
後ろからローファーの靴底を鳴らす音が聞こえた。

「はぁ、はぁ、すぅ〜〜〜はぁーーー木こりくん。」

肩まで伸ばしたストレートの黒髪からとても甘い香りが鼻腔の中に広がる。

「あ…あぁ」

「私、あんたと同級の千秋……」

「知ってるよ…だから何…」

久しぶりに自分のクラスの子と話した。特にこいつは何年と口を聞いたことがないような気がする。

「本当に知ってる?」

知ってるに決まってる。あの日、体育館の壇上に上がってみんなに挨拶してた君の顔を見てとても……

「あぁ、5年の時に転校してきたよな。」

「ならよかった…でさ…あんたに話が…」

「千秋?まずはその後ろにいる女の人の話から聞かせろよ…なんでずぶ濡れなんだそいつ…」

「先輩?」

「ん?……木こり……」

「あれ…気のせい…かな…」

時として人はこの世のものではないものと触れ合い、共に時間を共有したのなら…

たとえそれが、見えても見えないものであっても常に自分の近くにいるのなら…

「ん?どうしたんだお前等?」

「木こり……死霊が見えるのかい?」

軽はずみの日常の変化で、見えなくていいものも、魅なくてはならなくなる時が来る。

「あの…助けてほしいの………」

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