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やり続けられないけどやり続ける

ひとつの事をやり続けるって結構大変で、大変でも面白くて、でも大変さばかりに目が行くからみんなやり続けることってなかなかできなくて、でもその大変さの中の面白さに気づけたらなんだってできるなと思って、そんな事を少しだけ書きたい。



成長速度と面白さ

人の知的好奇心って面白くて、それによってお金とか時間が減るしエネルギーを使う事になったとしても満たしたいと思うもの。
その知識を得たとしても物質的価値はないし、得たという証明も簡単にはできないし、すぐに役立つわけでもない場合が多い。
それでも満たしたいと思う欲求。私はそれが凄く好きだ。
自分の持つ欲求に対して素直になりたいと思うし、他人のそれも応援したいと思う。
だってこれこそが人間に与えられた人間を人間たらしめる要素だから。

この知的好奇心の追求こそが、何かを始めた初期段階のエネルギー源なんだと思う。
新しい事に興味を持って触れて、新しい体験によって新しい気づきを得て、そこからどうすればもっと上手くなるかを追求する。

新しい事を始めたときって新鮮さで胸がいっぱいになってワクワクする。
初めての体験が終わった後には自分で調べたり、次はどうすればもっと良くなるか考えたり、次の予定を立てたりしてもっとワクワクする。
そして次の活動では小さな成功体験ができたり、課題が見つかったりして、もっと意欲的になる。
そしてそこからは回数を重ねる毎に課題を解決しつつ成長していく。
やるたびに上手くなる。やるたびに知識が身につく。
この活動初期の熱量ってすごくシンプルでアツくて、それでいて成長している自分というのも面白い。
その「やりたい」という欲求に素直に従うだけで身体が動く感じ。



比較と葛藤

新しい活動の初期段階では自分の欲求に素直に従うことで気軽に挑戦できていたが、ここから先はだんだん足が重くなる頃だと思う。
それは、向き不向きが判断できてきたり、自分の限界が見えてきたり、活動の本質が見えてきたりしてある程度満足するからだ。

この頃にはもうその活動は「新しいもの」ではなくなり新鮮な刺激は殆どなくなっているだろう。このタイミングが「続けるか辞めるか」のひとつの分岐点になると思う。

しかし新鮮さを失う一方で、活動自体への楽しさではなく、それに付属する楽しさに気づくのもこの頃だろう。
更なるスコア更新を夢見たり、新しい作品を残したいと願ったり、新しい繋がりを手に入れたり。
ここからは知的好奇心よりも、挑戦欲であったり、活動自体が持つ意味であったり、そこからの広がりを見据えるシーズンではないだろうか。

この段階では、その分野の基本ルールが分かったところで、他者と比較して自分の得手不得手が見えてくるため、そこでより一層ハマるのか、それとも冷めるのかという分岐点になりやすい。



その後の旅

ここまでは誰にでも当てはまるありきたりな展開だし、このあたりで辞めていく人や成長が止まる人が多く、つまらないし勿体ないなと思う。
結局それは、その分野をちょっと齧ってみただけだし、平均点は取得できたものの別にその人である必要がないからだ。
そういう人は、ちょっと小手先の技術が身について新人からは尊敬されるだろうし、未体験の人に対しては誇らしげに語る程度の知識は持っているが、その人が取り組む理由としてなんの魅力も持っていない場合が多い。

この分岐点でただ「続ける」を選択するだけではなく、「続ける」を選択した先の旅が大切だと思う。

旅とは、その分野だけに固執してやり続けるのではなく、自分の持つ武器をもう一度見つめ直してみたり、違う業界の知識を組み合わせてみたり、新しさを追求したりといったことだ。

様々な選択肢がある中で何故それを選んだのか。
それである必要はあるか。
それ以外では再現できない事なのか。

その選択に理由を持った瞬間に意味が生まれる。
その理由を探すために旅をする。

でもそれは簡単な事じゃないし、誰もがその理由を見つけられるわけでもない。だからなんとなく、当初ほどの熱量を失ってしまった自分に気が付いて辞めてしまう。
けどこの旅とは、当初の熱量を持ち続けてやらなくても良いと思う。
これまでと同じ熱量で取り組めないとしても、辞めずに模索し続けることが大切だ。そして何かをきっかけにまた戻ってくること。何かを吸収してその分野に還元すること。
これが私の思う「やり続けられないけどやり続ける」ということだ。



ただやり続けるという事

とはいえやはり、ただやり続けるというのもひとつの正解で、ひとつの才能だと思う。
中途半端に独自のスタイルを築こうとするよりも、忠実に基礎を守ってひたすら取り組み続けた方が良い場合も多い。

どのタイミングで自分らしさを付け加えるかというのは難しい問題だが、「自分らしさを出すべきか出さないべきか」と言うことを一度も考えないよりは、何度も葛藤しながら彷徨って出した答えも面白いだろう。

ただ忠実にやり続けるのか、自分らしさを探すのか、そのどちらの方向にせよ「続ける」を辞めた人間は中途半端だなと思う。

そんな被写体についてなのか人生についてなのかよくわからない内容を生み出したところで結局何が言いたいかというと、自分らしさを追求しつつも活動の手を止めずに作品撮りして、感性を磨き続ける必要があるなーという気づきでした。

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