起業家とクリエイターのシナジー

今回は被写体としての私というよりも、広義に捉えたクリエイターとしての私の未来について考えてみた記事です。

最近、起業家とクリエイターにシナジーを感じることが多々あります。
あなたの周りに、「クリエイター兼起業家」という人は少ないのではないでしょうか?私の周りにはいません。
しかしこれからは、この二面を兼ね備えた人が増えると予想されます。

3.4年後にはこの在り方が主流になるかもしれませんが、そんな時代に先駆けて今から考えていきたいことを書き出してみます。



最新の動向

まずはこの話の全体像について触れましょう。

Off Topicで、【2023年のテックニュースのトップ10】が公開されました。そこで面白いことが書かれています。

10位・・・起業家がクリエイターになった年
9位・・・クリエイターが起業家になった年

「起業家」と「クリエイター」の二者が相互に変化する年となっています。
非常に面白いですね。

起業家は、自身の成功例や実体験を元に、または潤沢な資金を元に、発信活動を行うことでクリエイターを目指しています。
クリエイターは、自身の影響力元に、オリジナルブランドの開発を行い起業家を目指しています。

この二者の在り方はとても良いバランスです。
起業家は、会社の力以外に個人としての影響力を身に着けることで収入の多様化を図り、それはこれからの不安定な時代における生活の保険になるし、多くのファンを身に着けるということは今後の新事業の展開を早めることにも繋がります。
クリエイターは、事業展開を図ることで個人の力以外の収入源を獲得し生活の安定化を実現すると共に、個人と事業の2つの世界観を応援してもらう事でさらなるコアファンを手に入れることができます。

tiktokやinstagramなど各SNSで、「社長がやってるアカウント」や「インフルエンサーがやってるブランド」など目にする機会が増えていませんか?
みんなそれぞれ生き方に対して葛藤しながら、全体が同じ方向に収束している様子が面白いですね。



そんな中で私は

そんな中で私は、会社としては4期目となり8名の従業員を抱える規模になり、クリエイターとしては発信を始めて2年が経過しました。
そんな中で少しずつ「クリエイター兼起業家」の在り方が見えてきました。

私は最近、会社の未来についてよく考えます。
この先、会社の成長を従業員数というモノサシで考えたとき、20人30人といった規模までの成長はなんとなくイメージができますが、これが100人200人になるイメージがあまりできません。
規模だけの話をするならば経過と共に拡大していく事は想像できるのですが、それが「上手く回っている状態か」と言われると、このままでは難しいように感じます。

そんな中で、「大きな規模で物事を回していくために必要なこと」を考えたときに、クリエイターとしての在り方が見えてきました。


また最近、クリエイターとしての未来についてもよく考えます。
最近被写体の活動としては、撮影に行けておらず、記事も更新できていませんでした。その言い訳の大部分は会社の忙しさがありましたが、モチベーションが迷子だったことも大きく影響を与えていたと思います。
モチベーションが迷子とは、私がこれまで探し続けていた、「この活動を続けることで一体何者になるのだろうか」といった部分の不透明さですね。これまで「見えない中で色々やってく」と語ってきましたが、いよいよ身動きできない程迷子になっていました。

そんな中で、「趣味表現だけでなく、生き残っていく(食っていく)ために必要なこと」を考えたときに、起業家としての在り方が見えてきました。



現在の方向性は

私はこれまで、ぼんやりと二者のシナジーを感じながらも、「被写体としての自分」と「起業家としての自分」を明確に区別してきました。
noteのアカウントも、各SNSアカウントもそれぞれ1つずつあります。
今回このアカウントで被写体から少し逸れたこの記事を書くのは、この二者の融合といった意味合いもあります。

これまでは、それぞれで違う自分として表現を行ってきましたが、両方を見てくれている方ならわかると思いますが、2つのアカウントではずっと同じことを言ってるんですね。

この「ずっと同じことを言っている」ということについて、私はこれまで、「そりゃ同じ人が書いてたら重要視することは同じことだろう」程度に考えていたのですが、どうやらこの「同じこと」は、これからの時代においてクリエイターと起業家が「共通して意識するべき考え」だということが見えてきたのです。とても面白い。

面白いなんて言っているが、まだまだ現在葛藤中である。
会社としても、クリエイターとしても、今後どのようにアプローチしていくべきか。
会社としては、時間と作業に追われて必要な情報整備が追い付いていないだけで、ある程度明確に「するべきこと」が見えているからまだいい。
一方でクリエイターとして考えた時に、被写体の難しさに直面していた。

世の中の被写体の人って、「何者か」と兼業している場合が多い。
何者とは、モデルだったり、役者だったり、アイドルだったり、歌手だったり、インフルエンサーだったりする。
自分を表現していく過程で写真が必要になり、それはファンにとっても需要があり、ビジュもよく、撮影されることのメリットが非常に大きいのだ。撮影によって発生するコスト(時間・労力・費用など)が十分に回収できるという事ですね。
一方で、被写体としてきちんとコスト回収ができている人って、本当にひと握りしかいません。
被写体活動を主軸にして、そこから派生して写真集を出したり、ファン会を開いたり、MVに出演したりという人は本当に数えるほどしかいない。

これまでの私はそんな被写体の「存在が不透明だからこそ可能性の模索し甲斐があるところ」に魅力を感じていたが、いよいよ出口を見失っていたのがここ数ヶ月の出来事でした。
そしてやっと突破口(シナジー)が見えたのが最近のことです。



みんな何者かになりたい

ここで少し話を広げて、私の大好きな「コミュニティ」というものについて少し考えてみたい。

数年前から友達募集掲示板などを中心にコミュニティを作る活動が盛んになってきてるように感じて、これまで結構色んなコミュニティに顔を出してきました。

コミュニティ創設ラッシュの背景として、「個人の時代」と言われて個の確立が重要だと叫ばれる中で、より一層「全体への調和」の居心地の良さが際立ったんでしょうか。
みんな子供の頃に夢見たような主人公にはなれなくて、本格的な個を確立できるほど他者と差別化できる人間なんてほとんどいなくて、そうやって比較したり競争したりすることに疲れるんです。一方でそんな人間にとって救いなのは、人間は全体の中のひとつの歯車として稼働できることに喜びを感じる機能もあって、それもひとつの幸せだと気づくのです。
この辺りの時期からクラファンとかオンラインサロンも流行り始めて、やっぱり人間にはコミュニティが必要だよねという空気感がでてきました。

そんなコミュニティの重要性に人間が気づき始めた時期から数年経って、最近では県や市が主体となった「わりと本格的でまともなコミュニティ」が増えてきたように感じるんですね。
例えばこんな。

結構大きな目的があったり、わりと公的な活動ができたりして、「何かやってみたいけど自分でゼロイチする能力はまだなくて何者かになりたい人」にとって非常に良い流れだと思います。

野良の人間が主体のコミュニティってかなり運営がずさんすぎて、目も当てられないような、出会いの巣窟と化したようなものが殆どです。それもまあ当たり前で、コミュニティについての勉強もしてないし、大きな目的もないし、どこかで自分が利益を取ろうと思うとロクな方向に転ばないんですよね。
一方でこういった県や市の「きちんとした」主軸となる運営団体があって、しっかりとした活動目的を持って、綺麗なホームページを構えて運営しているコミュニティって結構面白いです。

しかしどれだけそのコミュニティが優れていても、参加したからといって何者かになれるわけではないんですね。
やっぱりこの(コミュニティに入るという)行動をした人の中にも、「生み出せる人」と「生み出せない人」というのはいて、この生み出せない人というのは、「大きく動く全体の中にいるから自分も動いてる感」を多少は持てるものの、結局は何者にもなれないと思うんですよ。(組織の中で役割を得ることでその組織内限定では何者かにはなれるけど、一歩外に出たら表現できるものがひとつもない状態)

そうなってくると、コミュニティに入るとか入らないとか、コミュニティの中で地位を確立するとか新参者だとか関係なくて、「結局は何かを生みだしてる人が何者かになれるよね」という話はこれからも揺るがないような気がします。



起業家とクリエイターのシナジー

そんな事を考えていると、起業家とクリエイターに共通する物が見えてきました。
それは、何かを生みだす力だと思います。

知らないコミュニティに参加する勇気だとか、積極的に情報を集める力だとか、そういった「現状を変えるための努力」も必要だとは思うけど、その先に、「何かを生みだせる人間なのかどうか」という壁が現れる。そしてどんなコミュニティでどんな活躍をしていても結局「お前は何者か」という事を問われ続ける。

これは、私が何者かになる事に囚われすぎているのでしょうか。
それともみんな薄々感じながらも目を逸らしているのでしょうか。

少なくとも一部の起業家とクリエイターはこの事実に気づき始めています。そうなると、起業家とクリエイターに垣根はなくなって、そのどちらも、ひとつの表現者になります。

ここからいよいよ起業家とクリエイターのシナジーについて考えていきます。

当たり前のことですが、ひとりで出来る事って限られていますよね。だから起業家は、利益になる事を組織で行います。
しかし、会社でできることも限られていますよね。会社では、「やった方が良いのは分かってるけど、そこに投下するリソースに余裕がない」という場面が結構あります。思いついたことが何でも無尽蔵に実現できれば最強ですが、人的制限だったり、金銭的制限だったり、様々な面でコストがリターンを上回るシーンがあります。

そこで面白いのが、そんな課題をコミュニティに外注するわけです。
コミュニティは活動自体を目的としている場面が多く、課題を解決するということにおいて通常の営利組織では考えらませんが、コストとリターンの関係性が逆転するのです。それは、収益を生み出すこと以上に、交流することだったり、経験を積むことを重要視するためです。
コミュニティには、ゼロイチができないコンテンツに飢えた人がいます。そこに行動するための種を投下すると、コミュニティによってコンテンツが自走し、自社の課題が解決されるのです。

多くの人はゼロイチができないけれど、イチを広げる方法というのはある程度画一化されてきているため、後天的な学習によってそれができるようになったりします。
そして、外部から与えられた「イチ」を広げることで、自分もちょっと何者かになったように感じるのです。その「自分もちょっと何か生み出した感」が欲しくてコミュニティに参加するのでしょうか。

しかし考えてみてください。
それによって本当の利益を得ているのは誰か。
やはりゼロイチができる人間が強い。

そう考えていくと、これからの自分が目指すべき場所が見えてきました。
起業家として、そしてクリエイターとして。



クリエイターとしてのこれから

被写体としてのこれからではなくて、あえてクリエイターとしてのこれからとしています。
それは、被写体を主軸としていた活動から、世界観作りを主軸にした活動に切り変えていくからです。

理由としてこれまでの思いも込めて少し語ります。

被写体ってとても面白くて、「この構図がどう」だとか、「この色のバランスがどう」だとか、「光の加減がどう」だとか、「このときの表情がどう」だとか、色んな見方や楽しみ方があります。
だからこそ私はこれまで、「じっくり見てもらって考えてもらえると面白い」といったテーマで写真を提供してきたが、やはりじっくり写真を見てもらえる機会ってなかなかありません。
写真をそういった視点で楽しもうと考えていなくて、SNSで急に目に付く場合は、「シンプルに良い写真。シンプルにカッコいい写真。シンプルにお洒落な写真。」が一次情報として飛び込んでくることが重要視されます。

そのため、ある程度成長して、「個展を開催する」だったり、「大きく使って広告に使う」だったり、「グッズ化する」などの手段をとることができれば被写体としての未来も明るいのですが、弱小被写体活動者というもののメリットがあまりにも少ないように感じました。

被写体としてのアカウントはこのまま残すし、更新もするし、活動もしていくつもりです。
しかし、これからの私の中心となる活動は、もうひとつアカウントを作って世界観作りを行いたいと思います。

世界観作りについてですが、これがまた面白くて、これまで推し文化について様々な考察を重ねてきましたが、その結果今回少し答えに近づいた気がします。
推しとは、その存在自体を推しているように見えるし、実際そうなのだけど、その前提条件として、「ただ見た目が良いから」というわけではいけないんですね。
もちろん、入口は見た目かもしれませんが、一時情報として興味を持ってくれた人をコアファンにするためには、世界観が必要になってきます。

例えばカメラマンのアカウントとかでも、ただ可愛い子を載せているだけのアカウントでもある程度のフォロワーはいるものの、コアファンは少ないように見えます。
コアファンを抱えている人というのは、世界観だったり、表現だったり、設定だったり、コンセプトだったり、そういったものを見せてくれます。

これから私がそういったものを作っていくにあたって、やっぱり写真って視覚的にも重要だから、「被写体として何者かになろうとしてきた過去」というのは凄く良い経験だったと思います。ただ、「被写体としての自分」に固執することから解放される日が来たのかもしれません。

これから、これまで撮った写真を用いて独自の世界観を構築する。
その方法については長くなりそうなのでまた機会があればお話ししたい。

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