創刊サンデージャーナル 6

「当日は、面接形式で課題を朗読していただきます」
 電話の向こうの担当者が言う。女性の声だった。
「あの、これを面接時に読む、ということでしょうか」
 合格通知に同封したA4用紙こそ、一次オーディションの朗読課題だった。冒頭の一文は、〈先生がそういうから、私のスカートはいつもめくれてる〉原稿用紙換算にして十枚の掌編である。
 ここには羞恥心が隠されているはずだった。奔放な女子高生を声だけで演じなければいけない。
「作家のNさんが書いた短編小説を、御本人の目の前で声に出してもらいます。私たちが質問しますから、原稿に書かれた文章をそのまま引用して答えてください。少し、練習しましょうか」
「……はい」
「名前のあと、こう聞きます。簡単な自己アピールからお願いします、というふうに」 
「はい」
「小説の中でも、同じように自己アピールを聞いてますよね。そこを声に出して読んでください。最後まで暗唱できたら、一次突破です」
 原稿に目を通した。女子高生の声だ。〈私は先生が好きでした。西の空がオレンジに包まれる時間、自分からスカートをたくし上げて下着を見せることから始まるんです〉
「そのあと、もう一回、別の言葉で自己アピールしてほしいと思っています。時間は無制限です。こちらは審査とは関係ありませんが、人となりが分かるので、ぜひお願い致します」 
 そう聞いた瞬間、有希の目は輝いた。ひらめき、という天使だった。原稿からアピール文を引用すれば、好感度もさらに上がるだろう。現役女子高生がもっと朗読してくれる。作家にとっては嬉しいはずだ、と踏んでみる。
「わかりました。頑張ります」
 有希は言った。 
 幸運なんか、祈ってほしくないと言いたかった。いよいよ次へ進むことを思うと、有希の胸はさらに大きくなった。また中学二年の弟と、その友達から卑猥な視線を受けること必至。日頃から思春期を迎えた弟に刺激を与えたくないと思いつつ、今朝も鏡の前でセーターの膨らみを見つめる。男子は背中のホックの外し方を知らない。しかし自分は次の段階へ進もうとしている自負がある。不敵な笑みを浮かべた。これって高笑い? それとも女子アナのような愛想笑い? 否。これは私だけのベストスマイル。カリスマ主婦の苦笑いでもない。作家センセイも、女のアシスタントも、おじさん編集長も、誰も怖くない。
「有希さん。一次オーディション突破、おめでとうございます。二次からは候補者をさらに絞り、最終審査へと進みます」
「あの……」
 大丈夫。聞きたいことは何でも聞けばいい。大人に聞いていけないことなんて、何もないはず。
 有希は信じた。もう一度、質問の前に繰り返す。大人に聞いていけないことなんて、何も、ない、ハズ。
「どうして制服ばかりなんですか? 世界には裸で生活してる人、たくさんいるのに」
「有希さん」
「はい」
「あなたの活発な性格、編集部一同、高く評価しています。二次からの幸運を祈ります」
「祈らなくていいです」
「……どうして」
「この電話も審査に入ってるんでしょ? だったら、今すぐ点数付ければいいでしょ」
 電話の向こうが凍りついている。電話の向こうから、年上の女性が怒りに震えている。
 有希は冷静の意味を知った気がした。
 女性は言った。
「ある女性が八十点だとしましょう。笑顔でプラス十点、手料理が得意なら、満点に到達するんです。さらに出産でワンランクアップ、離婚でダウン。不倫でゼロに戻ります。ただし、四十代では憧れの対象になることもありえます。その場合、不倫相手が飛び切りの美少年か美青年であることが絶対条件です。十歳以上の年の差であれば拍手喝采、千客万来の大株アップが見込まれます」
「じゃあ、私もどこかで減点されているんですよね。この電話口で生意気言ってる時点で」
「二次からのオーディションで、どれだけ話せるかでしょうね。決め手は、その人自身の言葉にあります。あなたの場合、話せない心配はないでしょう。ただし、言葉遣いが悪いとマイナスです」
 選考過程は通常、応募者に漏らさないはずだと知っていた。ではなぜ、親切に答えてくれるのだろうか。有希は思った。別に自分だけ、答えてくれるわけでもないと。
「あの、春野さん。こういうオーディションの選考過程って、知らされないケースが多いと思うんです。でもどうして、教えてくれるんですか。私、性格悪いですから、裏があるなって思うんです」
「作家のNさんが決めたルールなんですよ。電話でも答えるようにしています。そうすることで、フェアな関係が築けるんですよ。応募側と審査側。どちらも遺恨を残さない。つまり、ギブアンドテイクです」
「ぎぶあんどていく」
「はい。私たちが履歴書と写真を預かる。次にオーディションの告知を応募者が受け取る。この時点で個人情報をこちらが見ていますから、今度は包み隠さず質問には答えるスタンスなんです。ちなみにわたくし、二十八歳の既婚者です」
「ありがとうございます。勉強になりました」
「私たちは、優秀な人を選びます。決して審査員が分かるだけの人を選びません。例えばカフカが好きだからと言う理由で選んだりはしません。プルーストを読破してるからといって選ぶわけではないんです。『百年の孤独』を単行本で読んでいるからといって贔屓することもありません。大物作家のゼミ生だからって選んだりはしません。今回の表紙、服の上からも分かるバストのボリュームが理想でした。それに加え、文学について議論できる女の子を選定するつもりでいます」
「私、やっぱり胸ですか」
「服の上から分かるバストのボリューム。女の私が言うなら、社会的に問題ないと認識しております。ほら、女性専用車両でコンパクトを広げるようなものですね」
 
  少女が目を丸くした理由は、兄の部屋から見てはいけないものを見つけたからではない。あるいは弟の検索履歴を調べた結果、言葉をなくしたからでもない。朝、この店に呼ばれた理由をただ聞いただけである。
「びっくりです。春野さんのオーディションなんですか」
「そう。驚いたかな? 俗に言うどっきり企画ってわけだよ。実はこのオーディション、アシスタントを務める春野ゆきさんを審査しているんだ。君は、仕掛け側ってわけ」
「ということは私、演技しなくちゃいけないわけですよね」
「そう。普段のままでいいよ」
「私、相手が年上でもいろいろ聞くタイプです。わからないままが嫌なんです」
「それなら、また春野さんに電話で聞いてみるといいよ。必ず答えてくれるから。我々、選考過程を包み隠さず公開する姿勢でいるからね」
「じゃあ、春野さん。電話の受け答えが課題なんですね」
「そうなんだ。編集部に届く電話の声は全部録音しているから、しっかり対応できているかを見る。ま、ゴンザレス氏も細かいこと言わないタイプだけど。やっぱり電話口の声って大事だからさ」
「なるほど。私、仕掛けるって初めてなんです」
「楽しいよ。この世は騙し合い。搾取されるくらいなら、搾取されない方法を知るべきなのさ」
「でも、どうして春野さんを審査するんですか。一次の印象ですけど、すごく優秀な方みたいです。笑顔がまぶしいキラキラ広報みたいな」
「今回のオーディションを通して、正式に採用を決めるって言ってた。ゴンザレス編集長、キスマークひとつで書類審査をパスしたこと、いまさら反省してるんだよ。つまり、人妻ハルノの挑戦ってわけ」
「そういえば人妻さん!」
「旦那、俺が狙ってること知らないみたいだけど」
「Nさん」
 今夜、一次突破の知らせを春野という女性から聞く。そして聞きたいことをぶつけてみる。電話の向こうの女性は、自分が審査されていることを知らない、という作戦。
 有希は長い自己アピールを忘れていない。弟が聞けば、人生を狂わせることになるだろう。考えてみればそうだ。放課後、自分から制服のスカートをたくし上げ、美術教師に〈杏仁豆腐みたいなお尻〉を無料で提供する、そんな一人の少女を演じるのだから。
「作家になってよかったよ。現役のJKに朗読してもらった上に、そのまま引用してくれた」
「あれ、部屋で練習したんです。全部覚えるまで、何度も声に出しました。隣で弟が聞いてること思うと、恥ずかしかったですけど」
「弟はいくつ?」
「中二です。十四歳」
 たとえ弟が聞いていても、有希に後悔はなかった。腐った女になる前に、声に出して覚える必要があったのだ。恥ずかしがっていても意味はない。そんな女、ミツバチだって寄りそうにないだろう。晴れた春休みの土曜日。年上の男性と珈琲を飲むのは初めてのことだった。いよいよ四月からは二年生になる。朝、スーツを着た男性からメールを受け、働く年上の女性を騙そうとしている。本当に、人生って素敵だと有希は思った。まだ注文した珈琲は半分も口をつけていない。相手男性の話しに夢中になった証拠だった。
 視線を左手の窓に向けた。ドラキュラが瞬時にして溶けるくらい、窓の外はまぶしかった。休日の街が見えた。いつもより人々の足取りも緩やかだった。一人の女子高生が駅の方へと歩いてゆく。次第に駆け足で友達の背に向かっていった。知っている顔ではなかった。
 店に持参したタンブラーから湯気が微かに上がっていた。音のない秒針のようだ。一枚の皿の上にはシナモンロール。両隣に置いたナイフとフォークは銀色だった。真っ白なシュガーが渦を巻いたパン生地に降りかかっている。明るい朝の光が店内に差し込んで、今日一番乗りの客の顔を照らしていた。(つづく)