今日も運転しなかった 第4回

 寒くなると毎年のように記憶がぶり返す。

 その日、私は中目黒校舎に入って編集作業の続きを始めた。土曜日の夕方。綱島発渋谷行きの混んだ電車内で、すでに雲行きは怪しかった。授業がない日に足を延ばしたのは初めてではない。バンタンは映像を学ぶ若者にとって解放していたはずだった。

 ある女性タレントのDVDーRで(ファン向けのものらしい)、講師からの紹介で引き受けていた。ノンリニア編集で仕上げてほしい、でも別の撮影が忙しいので誰か手伝ってほしい、というものだった。ギャラは1万円。これが安いか、高いかは判断がつかなかった。

 1階の編集室にこもることが苦ではなかった私は、映像の世界に行こうと意気込んでいた。履歴書にも残るし、わずかな(?)ギャラも出る。何より、AVID(編集ソフト)が好きだった。しかし日を増すごとに作業は暗礁に乗り上げていた。制作側の様々な要求に答えようとした結果、抜け道がなくなったのである。師走に入り、街行く人の足も慌ただしくなっていた。そしてついに、その日は訪れた。

 締め切り間際、急にガラケーが鳴ったのである。今回の仕事を頼んだカメラマンのH君からだった。彼もバンタン生である。素材である2本のDVテープを私に渡した本人だ。

 耳を疑ったのは言うまでもない。「実は画面サイズを間違えたので今から直せ」という。

 小学校のころから、誰かに作業を押し付けたことは一度もなかった。ついでに言うと、「フレームサイズを間違えたので、どうにかしてくれ」と人に頼む男も初めてだった。彼曰く、「アビッドじゃなくて〈ファイナルカット〉を使えばいいんじゃね?」

私「どうやって使うの?」

H君「おぼえてください」

 部屋に帰ったのは夜だったか。ガラケーには何本もの着信が届いていた。そのDVDを制作した会社の担当者からだった。幸い私は湯船に体を沈め、気付かなかったようだ。元の素材となったテープは翌日、フレームサイズがおかしいまま学校に返却された。H君とはその後、一度も会っていない。

 そして彼を雇った制作会社は検索しても出てこない。

(つづく)