今日も運転しなかった 第8回

シナリオを学ぼうとしたきっかけは、クエンティン・タランティーノが書いた『トゥルーロマンス』を見てからだった。

高校1年生、学校が大嫌いだった私は皆勤賞を取った。友達はいなかった。映画と音楽、本が大好きだった。入学式のあと、「やめよう」と思った。何もかもが、大嫌いだった。

鬱屈した私に、将来の道を開けた初めての映画だった。間違っても、甲子園の土を持ち帰る少年ではなかった。

20歳になった。カプセルホテルから出た私は、帰りの切符を買い求めた。上野発越後湯沢経由金沢行き。怒涛の3時間30分(くらいか)、『アラビアのロレンス』さながらの長旅である。

シナリオセンターの講師が挙げた『ビューティフル・ライフ』を見たことがなかった。10代の私は洋画好きに拍車がかかり、古い年代の作品も見るようになっていた。ルイ・マル『死刑台のエレベーター』も高校時代にBS放送で見ている。一体、映画を学ぶにはどうすればいいのか知らない。迷いが続いた。

雑誌『ロードショー』の付録に海外映画監督の冊子があった。なるほどスピルバーグとルーカスは昔から友達なんだ、ジェームズ・キャメロンはアパートで『ターミネーター』の脚本を書いたのかと、様々なプロフィールに心が躍った。11歳だった。その冊子が、捨てずに部屋に残っていた。そうだ。とりあえず東京で学ぼう。私はバイト代を授業料に当てた。そして片道分の切符を買った。

一年後、ニュースを見て青ざめることになるとは思いも寄らず。

(つづく)