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創刊サンデージャーナル 10

 その四 暗い日曜日

 夕刊を配るA君によると、玄関前で旧友との再会は決して珍しくないそうである。
 もちろん勤務中の長話は禁じている。が、男同士、昔馴染みの悪い癖が出てしまい、一向に帰る気が起きなくなる。先日も元バスケ部主将B君宅にて、彼の愛猫から凄まじい軽蔑の念を受けたらしい。黒猫の瞳がポーの短編さながら凶暴化、なだめるB君を尻目に、畳で爪をカスカス研ぎ始めてしまった。猫も主人の顔色くらいは疑う動物である。突然の来客に嫉妬したのは言うまでもなかろう。
 A君、思わず黒猫に「大丈夫、もう帰る」と手を伸ばした矢先、案の定、鋭い爪が空を裂いた。
 B君との会話で驚いたこと。なんでも高校卒業後、映画を学ぶために海を渡り、ブリスベンで現在の妻、メアリーと出会う。製作者の卵と俳優志望の金髪娘。ロサンゼルスであれば至って普通のカップルである。二人は〈トムとメアリー〉のコンビで短編映画を製作、その内容というのが、銀行強盗を繰り返す恋人たちの話で、学生映画祭では割れんばかりの大拍手、たちまち業界の話題となった。
 A君は輝かしい人生を歩む男を見て、一向に代わり映えのない己の境遇を嘆くも、メアリーの一言で目が覚めた。窓際で例の黒猫を抱き、「アナタ、キョウノハナシ、シンジテルノ」と伝えたのである。
 はて、自分は何を聞いたのだろうと旧友に疑いの目を向ける。B君、一世一代の大嘘が脆くも崩れ去ってしまった。映画を学ぶためにオーストラリア留学したまでは本当らしい。帰国後は主に父親が実効支配する葡萄畑で汗を流す日々。空には鳶が舞い、時折鼬が俊足で畔道を駆け巡る。学校帰りの子供たちにはちゃんと手を振り、「農機具ウラナイカ」とやってくる中国人ブローカーにも慣れてきた。
「でも映画を捨てたわけじゃねえだろう」
「あったりめえさ。そろそろ監督デビューしようと目論んでいるところ」
 そうだ。葡萄だけじゃ先はない。
「もし監督になれたら、試写会招待するよ」
 こうして同級生の家をあとにしたA君。バイクに跨り、喜びのあまり映画『大脱走』さながらガードレールを飛び越えた。現在、入院中である。
 メアリー曰く、「ニホンノオトコ、ダマサレヤスイ」  
 朝の気温も下がる今日この頃、平日からこぼれ落ちた話は枚挙に暇がない。A君が病床で話した一部始終、ある村の騒動を筆頭に、そんな話、あんな話を日曜限定で刷る。これが本誌創刊のきっかけである。三本共に通常誌面でお目に掛かることはない。納涼からは程遠く、暑さも増すこと必至。暑中見舞いとして、ここ夕刊〈日曜日報〉と名付けよう。
 なお、本記事への過度な期待、および記事選考に関する問い合わせは一切受け付けていない。

「お前もいろいろ苦労して来たんだな。しばらくの間にさ」
 見舞いに来たB君、包帯で片足をぶら下げている旧友を見て言った。始めは驚いた。〒印があるバイクが崖の下にある、と通報を受けたのだそうだ。幸い配達員に息はあった。鈴虫が会話の隙間を塗って鳴き始めていた。朝夕の風も涼しく、いよいよ半袖も箪笥に返る季節である。
 一体、この男が羽目を外した姿を見たことがなかった。小学校から常に成績優秀、落ち込んだ姿も記憶にない。A君ならOK、とわざと教科書を忘れ、肩と肩を近づけた女子もいた。思い出すたびに憤怒と羨望が襲い掛かってくる。長い間、本当に一度も顔を合わさなかった。片やブリスベンで映画修行、方や過疎地域で編集を請け負い、大騒動に。奇遇だろうか、お互い映画監督を志したようである。だが二七で挫折など誰が決めたのだ。
 言うまでもなく十八歳には戻れない。初めて出会った七歳にも。だけど昨日、夕刊を届けた横顔には面影が。
 扇風機がゆっくり回る畳の上、小豆色の本体から黒いコードが二本伸びている。娯楽の殿堂、ファミリーコンピュータ。テレビ画面には戦闘機が一台、もはや説明不要のゲームである。幸いポテトチップスで潤滑した黒ボタンは良好、ついでにカセットの下、差込口にフッと息を吹きかけた前科もある。
 それから某友人宅、「テニス部の姉ちゃんがもうすぐ帰る」と聞いて真っ先に居残ることを決意した、あの感情。
 夏のお祭りでジュエルリングを購入、やっぱり男子だからとやけに恥ずかしかった帰り道……すべてが宝石だった。
「これ、うちで取れたんだ。ルビーロマン」
 B君、麻袋から葡萄を掴み取った。A君、「悪いな」と微笑んでいる。紫の果実がたちまち病床を明るく照らした。これ一房でその名の通りルビーの山と見紛うほどである。
 その時だ。B君の目が枕元の写真に留まった。なんと麗しき女、しかも〈梨紗子〉とサイン入り。年の頃は三十代半ば、このまま白衣を着ても何ら違和感はない。
「昔、バイトで知り合った人なんだ」
 聞けば手紙入りでわざわざ届いたのだという。
「たぶん、新聞で知ったんじゃないかな。俺の事故、小さく載ったみたいだし」
 俺のいない間になんと生意気な。B君、ルビーロマンの鷲づかみを後悔した。そして喉に詰まった本音をこぼしてみる。
「かわいいね」
 病室には金髪美人がいた。男二人、語り合っている内すっかり忘れていたようである。B君、背中の妻を恐る恐る見て唖然。黒猫の爪研ぎ以上に戦慄が走るも、時すでに遅し。スカーレット・ヨハンソンからマナー講師みたいな怖い顔に変化している。
「お口開けて、はい」
 あ~ん。
 A君が嬉しそうに大きな口を開けた。メアリーは葡萄の実を一掴み、一直線に運ぶのだった。
 鈴虫が「俺にもくれ」と窓外の草叢で鳴いている。 

 B君が丹精込めて作ったルビーロマンは編集部にも届いた。「メアリーをこれ以上悲しませたくない」とのこと。葡萄がある限りまた友人の口に運びそうで恐ろしい。そこで、今回の取材時に病床から弊社まで移動させたのだった。
「夕刊に載るんでしょう? 楽しみです」
 B君のウィンクから、星は飛ばない。なんでもA君の足の方は順調に回復。しかし、黒猫が付けた引っかき傷は思った以上に深く、消えていないようである。当のA君、「次はトム・クルーズみたいに自らスタントをこなしたい」と意気込んでいる。 

(おわり)