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秋の夜長に思う事

星野源のオールナイトニッポンにオードリー若林がゲスト出演して、だいぶ深いことをお互いに話していた。何周も自己分析と他者分析をして自分の視線を自分の言葉で話せる二人だからこそ成し得る対談だと思った。(余談だが、芸能人は「自分」が商品で、その「自分」をどのように運営していくかが人生のテーマになるということを最近凄く思う。)特に、星野源が周囲の人との接し方について話す中で、所ジョージとの会話を挙げて、"周りの辛いことに対して、自分が乗り越えられるようにアイデアを出して、楽しくいられるようにする努力をしている"と話していたのが金言。思い返せば、星野源はこの考えで活動をしていると思うし、対談の中で話の内容がいくら変わっても、この考えが軸にあることが伝わった。そのことに痺れた。星野源の熱烈なファンではないものの、作品や発言に触れる度に「どうしてこんなに素敵な人なんだ」と思う。後半は「普通」に対する違和感の話に移っていく。


自分にとっては違和感なく行おうとしたことを、普通じゃないと周りから言われてしまっていたこと。でも、それを行っていくことで打破してきたこと。二人の今の活動を見ても、そういう人にしか新しい価値観や大きく言えば文化を生み出せないよなと思った。その分二人は他の人に寄り添う姿勢を大事にしていると話していた。全ての人生には何らかの個性があり、そこを尊重していきたいといった話になっていった。


僕はだいぶ排他的な人間だったなと思う。部活動等で当たり障りのない結果になることを第一に考え「絶対こうしたほうがいい」と決めつけて行動する部分や、慣習を踏襲するような選択を強いてきた部分が多かった。新しくみんなが納得できるような何かをよく考えれば起こせたのではないかと今でも反省する。
一方で自分自身はというと「変わっている」ということでアイデンティティを確保していた部分がある。みんなができることを改めてやって何が楽しいのかと考えていた部分。コンプレックスからの自己防衛だ。今ではそれが演じているものなのかの境目は無くなってしまったと思うけど。二つを総じてつまらない学生だったなと今では思う。


社会人になって思ったことは屋根がなくなったということだった。思ったより人って何してもいいんだと僕は思った。学生時代は決まったコミュニティの中でどのように活動していくか、その中でどう過ごしていくかがテーマで過ごしている人が多く、慣習的な僕もそうだった。霜降りバラエティの最近の放送にて、大学生のせいやがコンビを組まないかという粗品からの誘いに対して「観光研究会の活動があるから」といって断っていたというエピソードに強く共感した。視野が広いつもりでも狭い。学生時代から自分の可能性を模索し続けていた人たちを改めて尊敬する。

転職も当たり前の今、自分は何なのか、自分はどうするのかを常に考えて、思ったことに素直に行動していかなくてはいけない。考えるのは面倒くさいし、行動するのも面倒くさい。雨の日なんてすこぶる体調が悪いし、働く一日はあっという間に過ぎる。でも、周りの辛いことに対して自分が乗り越えられるようにアイデアを出して楽しくいられるように考えなくてはいけない。

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