Naoto Hiromatsu

思っていたこと、考えていたこと、忘れたくないこと

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最近の記事

ろうそくに火を灯すまで

特権的な人間だと思う。東京生まれ東京育ち、中学から私立に通い、そのまま大学へエスカレーター。新卒で大手企業に就職。好きなバンド活動も行い、ずっと男性として生きてきた。 なんて恵まれているんだろうと思う。転職、再就職の活動を行っても苦労はしない。ありがたいことに日本の平均年収を下回る選択はしなくて済む。なんなら安定に身を置きすぎて非正規雇用になる勇気がないとも言える。一方で持たされた環境を利用して社会のために身を粉にして働く訳でもなく、平日の仕事を適当にこなしながら、空いてい

    • 「ブルースマン」に寄せて

      バンドとして2枚目のEPをリリースした。収録されている4曲のうち、1曲「寒い朝」を作曲、もう1曲「ブルースマン」で作詞作曲を行なった。 「ブルースマン」という曲は当初「ブルースマン」という曲名ではなかった。僕がバンドに対して提出したデモをベースのゆーりがリアレンジしてきた時の仮題が「Bluesman」であった。ぴったりな曲名だと思った。英語はなんだか気恥ずかしいので、カタカナ表記にした(僕はまだ英語の曲名を作ったことはない)。 2021年夏、僕はコロナに感染して実家の自分

      • 秋の夜長に思う事

        星野源のオールナイトニッポンにオードリー若林がゲスト出演して、だいぶ深いことをお互いに話していた。何周も自己分析と他者分析をして自分の視線を自分の言葉で話せる二人だからこそ成し得る対談だと思った。(余談だが、芸能人は「自分」が商品で、その「自分」をどのように運営していくかが人生のテーマになるということを最近凄く思う。)特に、星野源が周囲の人との接し方について話す中で、所ジョージとの会話を挙げて、"周りの辛いことに対して、自分が乗り越えられるようにアイデアを出して、楽しくいられ

        • バンドを始めた頃

          自粛期間があったからバンドを組んだ。そう確かに言える。 2020年4月、本来であれば僕は社会人としての生活をスタートさせていた。1か月程度の研修を受け、同期の友達を作って、5月にはなんとなくやる気でも出して頑張っていたであろう。真っ当に働くのも悪くないと思っていたかもしれない。 しかし、現実では2か月の自宅待機、自宅学習になった。学習とは言っても会社も管理のノウハウをまだ持っていなかったし、先行きも不透明だったので新入社員は放置されている状態だった。 僕は人生最後の自由時間

        ろうそくに火を灯すまで

          イギリスの幼稚園での話

          幼少期イギリスに住んでいた。日本人学校ではなく、現地の幼稚園に通っていた。園児の内訳は白人系が6割、黒人系が2割、アジア系が2割程度だったと思う。英語なんて喋れていたのかもわからないし(喋れていなかったのだろう)けど、苦労なく楽しく僕は過ごしていた。 クラスに黒人の女の子がいた。とてもおおらかな子で、よく大きな声で笑っていた。先生とも対等に話すような大人びた子だった。クラスはそうした大人びて、なんでもできちゃうような子を少し敬遠する風潮があった。僕は白人の子たちや数少ない日本

          イギリスの幼稚園での話