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牛肉を愛した偉人たち ⑭・アルフレッド・ヒッチコック

 今、私の手元には一冊の古書がある。タイトルは『映画術 ヒッチコック/トリュフォー』(晶文社)定価2,900円。奥付を見ると1981年12月25日発行とある。この本は当時、私が就職して購入した最も高い本であった。ちなみに趣味の本ではなく専門書に限定すると『牛病学 初版』(近代出版)1980年発行。定価25,000円。当時の基本給が10万円そこそこだった事から月収の4分の1を費やしたことになる(とほほほ!)。
 『牛病学』はともかくとして、『映画術』は爾来(じらい)約半世紀近く、ヒッチコックの映画を観るたびに座右の書としてきた。
 
 サー・アルフレッド・ジョゼフ・ヒッチコック(1899年~1980年)はロンドン・イーストエンドの青果物や養鶏場を経営する一家に生まれた。末っ子でもあったアルフレッドは、年の離れた兄姉が家業を手伝う中、地図や列車の時刻表を眺めて空想旅行を楽しんだり、窓からの眺めをスケッチしたりと、一人でおとなしく遊ぶ夢見がちな少年だったという。60年にわたるキャリアの中で50本以上の長編映画を監督し、映画史上最も影響力のある映画監督のひとりと見なされている。ほとんどの作品がサスペンスやスリラーであり、革新的な映画技法や独自の作風を使用し、「サスペンスの巨匠」や「スリラーの神様」と呼ばれた。作品に小さな役でカメオ出演したことや、テレビ番組『ヒッチコック劇場』(55年~65年)のホスト役でも広く知られている。
 私が最初にヒッチコック映画を観たのは確か『鳥 The Birds』(1963 年)だったと思う。Webで調べるとフジテレビ系列のゴールデン洋画劇場で1973年10月5日に放映されている。
 今、この原稿を執筆するために改めてDVDを購入した。あらすじをDVDケースから拾ってみよう。
 
  ホデガ湾の港町を訪れた気ままな社長令嬢メラニー。ペットショップで
 知り合った若い弁護士ミッチの屋敷に、内緒で小鳥を届けた彼女は、ふい
 に空から舞い降りた一羽のカモメに額をつつかれる。それが全ての始まり
 だった。ミッチの家に数百羽のスズメが押し寄せ、小学校の子供たちがカ
 ラスの大群に襲われる。次々に起こる異変、刻一刻と増え続ける鳥たち。
 不気味な威嚇の鳴き声が町中に響くなか、週末の夜が明けていく…。
 
 「レベッカ」の女流作家ダフネ・モーリアの原作を基に、ヒッチコックが撮り上げたパニック・サスペンス。一軒屋に立てこもった人々と鳥との凄まじい攻防戦、ショッキングなラストが忘れ難い傑作だ。
 半世紀ぶりに観てみると、いやはや実に面白い。CGがまったくない当時の苦労(カラスのcrowに掛けているいるわけではありません)が忍ばれる。ちなみに世界で初めて全面的にコンピューターグラフィックスを導入して話題を集めたのがSF映画『トロン』(1982年)。
 
 特撮の中味と音楽
 過去にNHKBSで 巨匠たちの肖像「ヒッチコック サスペンスの深層」が放映され、合成を中心とした特殊撮影の一端が解説された。本作はユニバーサル製作の映画だが、ディズニーの伝説的な特殊効果エンジニア、アブ・アイワークスが特別顧問としてクレジットされるなど、スタジオの垣根を越えた協力があったことは映画史的にも重要だ。ほかにも動物トレーナーが調教した鳥(カラス、ワタリガラス、カモメ、スズメなど)を使ったり、作り物の鳥も使われ、野生のカモメを撮影したフィルムを俳優の演技と合成したりと様々な手法がシーンごとに使われているという。
 また、この映画で特異的なのは音楽(BGM)を全く使っていないことが挙げられる。ヒッチコックは作曲家のバーナード・ハーマンに依頼し、通常の音楽ではなく、計算された静寂の中に効果音とわずかなソース・ミュージックを使用した。それが電子音響トラウトニウムである。その効果はタイトルの場面で鳥の鳴き声や羽ばたきの音で遺憾(いかん)なく発揮される。
 なお、有名なヒッチコックのカメオ出演だが、本作では冒頭のペット・ショップから犬と共に出てくる男性役で出演。2匹共ヒッチコック自身が飼っていたシーリハム・テリアである。
 
 ヒッチコックは子供の時から肥満体型であり、1939年末には体重が約165キロに達し、太り過ぎで背中の痛みに苦しんだ。ヒッチコックの普段の食事はローストチキンにボイルドハム、ポテト、野菜料理、パン、ワイン1瓶、サラダ、デザート、そしてブランデーだったが、1943年には食事療法を試み、朝と昼はブラックコーヒーだけ、夕食は小さなステーキとサラダだけを食べた。その結果、約50キロの減量に成功し、それを記念に残すため『救命艇』(1943年)のカメオ出演として、減量前と後の写真を劇中に登場する新聞のやせ薬の広告で使用した。ヒッチコックによると、この映画を見た肥満体型の人たちから、このやせ薬の入手方法を教えて欲しいという内容の手紙が殺到したという。しかし、減量を続けるのは難しく、1950年までに体重は元に戻り、それどころか前よりもさらに体重が増えてしまった。それでもヒッチコックの肥満体型とそのシルエットが自身のトレードマークとなり、映画評論家の山田宏一は「チャップリンの放浪紳士のスタイルと同じくらい有名になった」と称している。
 ヒッチコックの常食はローストチキンだったが、卵は大嫌いだった。それは生家が養鶏場を経営していたのと関係があるのかも知れないが、……。監督がいかに卵を嫌っていたかは次のコメントで判る。「私は卵を怖がっています。怖いというよりも、卵は反吐を催させます。穴のない白い丸いもの… 卵黄が割れて黄色い液体をこぼすのを見たことありますか?血は楽しい、赤いです。でも卵黄は黄色い、反吐を催させます」映画『泥棒成金』でも目玉焼きの黄身の真ん中にたばこを突き刺して火を消すというシーンを入れている。 
 
 八重山諸島に『鳥』ありき
 私が以前勤務していた八重山家畜保健衛生所ではカラスによる子牛の被害が相次いでいた。子牛の繁殖業がさかんな竹富町で特によく耳にした。
 小浜島で出荷前の子牛や母牛が尻を突つかれ傷を負ったほか、竹富島ではこぶしが入るほど肉をえぐられた牛もいた。農家からは「カラスの駆除活動をしてほしい」という声が上がっていた。
 「カラスにやられたら売り物にならない」と畜産農家は深刻だ。竹富島では、観光案内で活躍する水牛まで被害に遭ったという。
 出荷前の生後4カ月の子牛がカラスに突つかれたという繁殖農家のOさんは「尻に小さな傷があり、人のいないすきにカラスが飛んできて肉を食べている」と説明。「ネコの形をした厚紙をぶら下げるなど対策を講じたが、カラスは頭が良くしばらくすると慣れてまた子牛を襲う。どんなに追い払っても効果がない。行政に駆除をしてほしい」と訴える。
 竹富町内の有害鳥獣(イノシシ・カラス)による農作物被害額が2022年度で668万円と前年度の約2倍、過去4年間で最多となったことが分かった。
 
 「たかが映画じゃないか」
 ヒッチコック夫妻は1960年に初来日している。関係者が寿司や天ぷらなどの和食でもてなそうとしたが、本人はどこ吹く風とばかり固辞し、神戸ステーキばかり食べていたという。また、イングリッド・バーグマンの私邸でのホーム・ヴィデオで彼女にステーキを切り分けて給仕する監督の貴重な映像が残っている。
 ヒッチコックはユーモアをこよなく愛した英国人らしくさまざまな名言を残している。

  常に観客をできるだけ苦しませなさい。
  映画の長さは、ひとの膀胱がどれだけ我慢でき  
 るかということに直結させるべきだ。
  わたしは型にはめられた映画監督だ。もしわたしが『シンデレラ』を撮
 れば、観客はすぐに馬車の中に死体を探すだろう。
  わたしはウォルト・ディズニーがうらやましい。  
 鳥もネズミも思いどおり動かしているからね。
 
 なかでも最も有名な名言は、演出意図などを細かく質問するバーグマンに言った"Ingrid! It's only a movie!"(たかが映画じゃないか)。
 趣味や服装などでも自分の領分を頑なに追求した英国紳士は80歳で腎不全を患い死去した。

               初出:『肉牛ジャーナル』2024年1月号 

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