2021年10月17日、午後3時。
会場を出た僕は、泣いていた。
いや、正確にいうと、涙は流れていなかった。
母親の死でも涙を流したことのなかった僕は、涙というものの流し方を忘れてしまっているのかもしれない。
涙が流れていないから、泣いてはいなかったって?
いや、確かに僕は、泣いていた。
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▼ 流るるままに
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100日前くらいに時を戻そう。
そう、あれは、ちょうど七夕、7/7だった。フェイスブックにも投稿したけど、宅建の参考書と過去問のセットを買って、勉強を始めたのは。
正確に言うと、本は7/1に買って、7/5に宅建の試験の申し込みを終えて、7/7から勉強を開始した。
そこから今日まで約100日間の経験から僕が感じたこと、掴み取ったことを書き記しておこうと思って、今思うままにパソコンのキーボードを叩いている。
なぜ宅建の試験を受けようかと思ったかと言うと、ちょうど4ヶ月前の6/19に親父から呼び出されて、品川区は大崎にある実家の近くの焼肉屋で会うことになった。
事前の電話で少し話を聞いてはいたが、要は親父の会社を継がないか?ということだった。
堀口不動産を40年くらい品川区で経営していて、経営といっても親父が一人社長の町の小さな不動産屋さんである。
40年も続けると看板に信用も付いていて、そのまま失くしてしまったり、見ず知らずの人に渡すよりも、、ってことで、三兄弟の末っ子の僕に白羽の矢が向かってきた。
というよりも、僕の将来やこれからを思っての親父なりの配慮というか想いというか、、色々なものがこもっての、会社の引き継ぎということだったのかもしれない。
僕はというと、2020年と2021年は天中殺期間なので、自分で「これやりたい!」をカタチにしていくのではなく、声がかかったことやオファーがあったら応えるようにしていた。
なので、声がかからなかったり、オファーがないときは、その何もない時間を目一杯味わっていた。
Netflixを観たり、去年の9月から取り憑かれてしまった石を蒐集して愛でたり、、これから夏だし、日焼けしよっとみたいに考えていた、そんな時だった。
なので、僕にとっては、Netflixで次の回を観たい!そんな欲求を、そっくりそのままのイメージで、「勉強したい!」って毎日思うように、脳を洗脳していけばいいんだ。せっかくの機会だから、宅建の資格を取って、その上で親父の会社を継ごう、そう思って、7/7から勉強を始めるのであった。
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▼ 宣言
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資格を目指すに当たって、どうしようかなぁと思うことがあった。
《宅建を受けます!》と宣言をして、受けるか?
何も言わずに《こっそり受けて》、受かったら言うか?
ちょうど、NetflixだけでなくYouTubeで中田あっちゃんのYouTube大学もずっと観ていて、どの回だか忘れたけど、確かちょうど7/7付近の動画だったと思う、宣言した方が、周りも応援してくれるし、あっ、そうなんだって思って、いろいろ今後に向けて動いてくれる人も出てくるよって。
宣言してダメだったら、、って考えると、そう僕もそう考えていた、恥ずかしいという感情が出てくるけど、それは僕しか思っていないことであって、他の人はそれぞれ色んなことを感じるけど、一所懸命に取り組む自分、言ってしまったからにはやる自分を見てみたい、そんな思いもあるなぁと思い、Facebookで宣言をした。
色んな人がリアクション、コメント、応援、受かったらこうしない?、、いろいろ言ってくれて、正直、嬉しかった。宣言して良かった、そう思った。
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▼ 勉強の夏
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そんなこんなで僕の勉強、1017の試験までの約100日間が始まった。
はじめに、独学だとどのくらいの勉強時間が必要かをGoogle先生に聞いた。
答えは、500時間。なるほど。
100日で、500時間。
1日、5時間。
不可能な数字じゃない。
けど、宣言したからには確実に受かりたい。
そう思った僕は、なら「人の倍やればいいっしょ」そう思い、1日10時間を目標にした。
それからは、7時の起床時間を4時に変えて、朝3時間やって、少し仮眠とって、9時から19時の間の10時間の中で、昼飯や休憩を取りながら7時間やろうと決めてやっていた。
《やればやるほどできるようになる》
そんな自分に気づくまでそんなに時間はかからなかった。
最初は、テキストを読んでもどういうことが書いてあるか、理解するのが精一杯だったのが、3往復もすると、”理解”できている自分がいた。
そして、”理解”ができたら、次は”記憶”だ。
暗記にそんなに苦手意識はない。
中田のあっちゃんやホリエモンYouTube動画、西野亮廣さんのオンラインサロンの記事、石について師匠から教えてもらったこと、、こんな話だったよって伝えるのは得意な方だと思う。
だけど、資格の勉強を覚えられるか。。テキストから問題集に移行して、問題集も3往復。解くことよりも”記憶”を優先させてやっていくと、しっかり覚えてきている自分に気づいた。
そんな頃、真夏の太陽が照りつける中、いや今年の夏は例年になく寒かった。夏!海!って感じじゃなかったのも助かったのかもしれない。
朝は涼しいから家で、日中は図書館へと移動して、受験勉強をしている学生と一緒に勉強をする、そんな僕の38歳(-20歳理論で生きているので、18歳、僕も同じ受験生ww)の夏だった。
そう、僕は中学2年の夏から3年の受験シーズンまで勉強をした、あの夏の自分を今の自分に重ね始めていた。
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▼ あの頃の俺
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中1の時にかーちゃんを亡くした俺。
そのショックと、少しからかわれたように感じた怒りの感情と、ちょうど中2の夏くらいから早稲田アカデミーなる塾がたまたま近所に出来て、第1期生だから、入塾テストが悪くても入れたことで、入塾することになった。
勉強ができる方じゃなかった。
早稲田大学理工学部出身の僕が言うと、「いやー、とは言っても、、」みたいに言われるが、本当に、1/2+1/3=2/5という風に中2の時まで答えていた。上は上、下は下で足し算をしていた。
けど、僕自身としては、テストの点が悪くても、そもそも勉強をしていないし、したこともないし、だから悪くても当然!みたいな感じで、全くショックに思っていなかった。
そんな僕が、塾に入って、勉強の楽しみを知った。
《やればやるほどできるようになる》
スポーツでもなんでもそうだけど、進歩、成長していくのが楽しい。
点数のように、数字が上がっていくのもゲームみたいで楽しい。
そう思うようになった自分、受験で早稲田と慶應の付属高校5校を全校合格した自分。
そんな自分のことも懐かしく思い出しながら、20年以上前の受験勉強が楽しかった自分、追い込み時期は、1日16時間やっていた自分を重ねていた。
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▼ 本当は怖かった
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僕のことを4年前くらいから知っている人はFacebookとかから知っていると思うけど、本当に僕はこの天中殺期間である2020年2021年、そしてその前の2019年くらいから、急激にペースダウンというか、動きを止めた。
陰陽五行論や帝王学を学びに通っていたこともあって、宿命を強く意識するようになって、そのおかげて、そんな止まっていることを敢えてしているもんだから、その期間を、そんなことをしている自分を楽しんでいた。
けど、本当は怖かった。
その時が怖い、のではなく、これから先、
自分が「動こう!」と思った時に動き出せない自分になってしまっていたらどうしよう?
そんな不安や恐怖はつきまとっていた。
だってさ、よく人は、1週間仕事を休んだらリズムが分からなくなったり、1ヶ月休みがあってもその過ごし方が分からなくなったり、、自分の経験でもプルデンシャル生命で1日2時間睡眠で最初3年間突っ走ってた時は、1日休むことで今までの積み重ねが崩れるんじゃないかという恐怖に毎日怯えていた。
それなのに、、2年以上休んでいる自分が動き出せるのか?
そんな自分の脚がまだあるのかを確認する。そのための今回の100日間の資格勉強だったのかなと今となっては思っている。
そして、どうやら僕にはまだ、脚が生えていた(笑)
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▼ 10月に入った、残り2週間
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そんなタイミングで、風邪をひいた。
季節の変わり目で風邪を引いちゃう、子どものような直人です。
でもこの時期の風邪は風邪なのか分からない。花粉症も毎シーズン苦しめられる僕は、鼻水ジュルジュルから脳みそが風邪と判断して、熱が出たり、節々が痛くなったりするから、今回もそう、風邪だと思うことにした。
外を見ると、黄色く綺麗に優雅に堂々と気持ち良さそうに咲いているブタクサが見えた。
いっぱい汗かいて、ポカリ飲んで、葛根湯を飲んで、、一気に治した感じだったけど、結局試験当日まで、痰(セキじゃないよ、タンだよ)がずっと出ていた。
逆にマスク生活、試験最中はマスクしていなきゃなので、その練習になったからよかった。図書館でもしっかりマスクを付けて、寝る時にもマスクをして寝て、、、コロたんでしなかったマスクも花粉症では、した。そういえば、春にも花粉症でマスクしたり花粉ガードの鼻に塗るやつを買ったししてた。
10/2.3は親父と三兄弟、4人で、毎年行っているかーちゃんの墓参り兼旅行にも行ってきた。
73歳、人工透析に入ってしまっている親父の手を引きながら、「ちびっこみたいでかわいいいなぁ」そんな感情を親父に持った自分にもほっこりしながら、しっかりリフレッシュもしながらこの期間を楽しんでいた。
10/14.15.16の直前3日間は図書館の開館時間目一杯いた。
3周やった12年分の過去問を再度もう一周することにした。
問題を解いて、答え合わせして、1年2時間。
4年分で8時間。3日24時間でちょうど12年分できる。
配分もバッチリ、あとはやるだけ。
そして、やりきった。
合格基準点は、50点満点中31-38点。
過去問の出来は、45-50点。
95%を目指していたから、このくらいいったんだなぁ。やっぱり目標は高めにおいておいたほうがいいなぁって実感しながら、過信はしておらず、でもやってきた自分、100日間勉強としっかり向き合って自信をつけた自分がそこにいた。
前日は、17時には完全に終了し、缶チュウハイを寝酒に、早めに就寝することにした。
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▼ 当日の試験、まさかの、、、
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準備は万端だった。
シャーペンが壊れていることに気づいたのも、試験開始1時間前だったから、試験監督の人に言って、鉛筆を2本借りた。バッチリ。
10/17
13:00-15:00
途中退出をせずに、最後まで見直しをしっかりと。
開始3分前には目を閉じて、精神集中、瞑想。
やってきた自分の中に全てある。
そんなことを思いながら、問題用紙を開いた。
過去12年間の過去問で見たことがない問題。
テキストや問題集にも書いてなかった読めもしない文字、見たことのない表現。
頭の中が真っ白に、、、なってはいなく、分かる問題から解いていって、分からなかった問題と解く。
マークシートは最後に一気に塗り潰す。
そんな作戦が完了したのは、14:59、本当に残り1分まで、目一杯やった。
試験を終えた僕は、「アカン」、そう思った。
2時間後の17時には解答速報がwebにも出てきて、12/1の合格発表日が自分と重なるという奇跡に胸躍らせていた自分が、今はもう絶望の淵に立たされている気分で、一縷の望みと共に自己採点してみた。
「オワッタ。。。」
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▼ ハジメテの挫折
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何を見ても、何を聞いても、何を食べても、何をしても、、見ているのか、聞いているのか、食べているのか、しているのか分からない、、そんな不思議な感覚になった。
涙は流れていない。
けど、泣いている。
そう、僕は泣いていた。
涙は流れていないけど、泣いていた。
正直、悔しかった。
「もっと勉強していたら、、」そんなことは全く思わなかった。
あと5万時間勉強しても、分からなかった問題だった。買った本に書いてないことだったから。
悔しいと思った自分。
間違いなく僕の心の中にある感情。
悔しいと感じるってことは、、
やりっきたからなんだと思った。
100日間だけど、勉強をすると決めて、やりきったから、悔しかったんだ。
やると決めたことをやっていなかったらこの悔しさを感じることは無かったんだろうなぁと思った。
ふと、高校のサッカーの最後の大会を思い出した。
あっという間に負けてしまった。
悔しさ、怒り、寂しさ、、色んな感情が混ざり合っていた僕は、スパイクを投げ、ロッカーを殴り、、、暴れながら泣いた。
その時の悔しさ、青春の1ページがオーバーラップして、20年以上経った自分に並んできた。
そして、、もう一つ、大切なことに気がづいた。
そう、僕は、18年間生きてきて(-20歳理論ねww)初めて、
【挫折】
をしたのだった。
今ままで、《目標に決めたことは、叶っていた》、そんな人生だった。
中学生の受験期、早慶に受かりたい。
そう思ったら、どんなに偏差値が高かろうと、全部受かった。
大学生の就活、プランドゥーシーに行きたい。
そう思ったら、3万人エントリーして採用10人でも、受かった。
プルデンシャル生命の時、同級生の3倍の結果を残したい。
そう思ったら、達成した。
鬱の経験を活かして、カウンセラーになる。
そう思ったら、なれた。
ヨガの業界で、全国に各地に行く。
そう思ったら、できた。
みんながわくわくできる、コミュニティを作ってみたい。
そう思ったら、そんな日々を過ごしていた。
、、、何かをやろうと決めたら、決めたところまでは叶えていた。
叶えてからの先は、色んな流れや自分の至らなかったこと、責任感の欠如などなど、叶ったことがずっとずっと今でも続いているわけではないけど、全て、決めたラインまではやれている。そんな自分がいた。
今回、
《目標に決めたことが、叶わなかった》
これを【挫折】と呼ぶかどうかの言葉の定義はわからないけど、僕にとっては18年の人生の中で初めて経験した【挫折】だと気づいた。
この経験は貴重だ。
僕の痛みや悲しみ、悔しさや憤りの中に、こんな風に感じるポイントがあったんだ。
新しい発見だった。
そして、今回の【挫折】は自分一人でやったものだった。
今まで、人を巻き込んで活動していた時、どこかで、先輩や師匠のおかげという名の《誰かがいての自分》《全責任を取りきろうとしていない自分》がいた。
巻き込んで、迷惑や痛みを感じさせてしまったこともある。申し訳なく思い、反省をしている。
幸いにも今回は一人でした【挫折】、全責任は自分にある。
全責任を自分で抱えると、【挫折】が未来に繋がってくる感覚に包まれた。
これからは、色んな人、目上の人や先輩や師匠、僕よりも経験や能力も優れている人とパートナーシップを組むことになったら、
《全責任を自分で取りきる》
そう決めることもできた。
ふと、最近、プロ野球選手のハンカチ王子こと斎藤佑樹選手が引退するというニュースと共に、甲子園で死闘の末破れたまーくんこと田中将大選手を思い出した。
まーくんは、当時、間違いなく【挫折】した。
ハンカチ王子は、達成した。
ハンカチ王子は早稲田大学へ、
まーくんはプロ野球へ。
そこから先のストーリーはみんな知るところだと思うけど、【挫折】を経験したまーくんの方がより結果を出して、豊かに生きているように僕には映る。
【挫折】を経験した人は、強くなる。
あの時の【挫折】があったから、、
きっと、そう思える人生がこれからの僕を待っているのだろう。
まだ18歳(シツコイ?)で高校卒業。
これから、僕にとってのプロリーグが待っている。
平均余命で考えても、まだあと50年は生きそうだ。
まだまだ続く、想像もできないくらい圧倒的に長い人生。
【挫折】を経験した人は、強くなる。
僕は、この夏、人生で初めての【挫折】をした。
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