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【日記】価値は「比較」から生まれる

金メダルに銀メダル、、、。輝かしい成績には価値があります。オリンピックはその最高峰でしょう。

私たちは様々な価値観によって、感情を動かされ、特に経済活動やスポーツなどの競争に駆られています。価値があるからその価値を手にしたいと思うのです。

さて、その価値は何によって生まれるのでしょうか。僕はそれは「比較」だろうと思っています。

競争は相手よりも早いから価値があるのです。競い合う相手がいないのに、スポーツはありえませんし、表彰というのも変ですね。記録という対象に向かうこともありますが、それも速さや記録という比較対象があるということです。

僕はこの比較による価値観に少し危険性を感じています。それは、比較するということに無意識に飲み込まれ、自分の存在価値という「実存」にまでその比較による価値判断が影響を及ぼしかねないからです。

つまり、「自分は生きている価値があるのだろうか?」という疑問の誕生です。

生きている価値とはなんでしょうか?おそらく、、、

あんなに輝いている人がいる、それに比べ僕なんて、、、。
何をやっても一番になれない、そんな僕なんて、、、。
兄に比べ僕は、、、。
モデルさんは綺麗なのに、なんで私は、、、。

これらの自分という価値に関する背景には、比較があります。だれかと比較して自分の価値を決めようとしているのです。

でも、そもそも「存在」に比較する意味はあるのでしょうか?

カラスはワシと比べて存在価値があるか?
サメに比べてサケの存在価値は何か?
栗と桜はどちらが存在価値があるのか?

くだらないですね。僕は「存在」という事実に関して、比較することで見えてくる価値などないと思っています。生まれてきたことが素晴らしいのであって、比較するから素晴らしいわけではないはずです。

よく言われていることですが、「貴方はそこにいるだけで素晴らしい!」のだと。子どもを持つと強烈に実感しますが、別にだれかと比較して子どもを愛しているわけではありません。「無条件の愛」といいますが、まさにそこには比較する価値は存在しません。ということは、自分も親にとってはそうだったはずです。つまりすべからく本来は存在に価値が付与されているのです。「」という背景において。

それでも、どうしても比較して自分の価値を確認したいという欲求があることも分かります。

であれば、近縁の種である類人猿と比較してみてはどうでしょうか?これは比較解剖学という分野です。

僕らは、ホモ・サピエンスという種族です。僕らの種の特徴は比較解剖学的には例えば以下のようなものがあります。

・足のアーチはヒトのみに存在します!
・腰椎の前弯はヒトのみが持っています!
・頭が背骨の真上に位置するのはヒトだけです!
・立って歩く移動手段を持つのもヒトだけです!
・片脚立ちで長く立っていられるの哺乳類もヒトだけです!

一例だけをみても凄くないですか?ヒトというだけで他の動物にはない特徴が沢山あるのです。

短足を気にかけているのなら、チンパンジーやオランウータンよりも圧倒的に手より足が長いのがヒトですから、安心して下さい。十分脚は長いです。

走るのが遅いと気にかけているのなら、直立二足歩行で歩けているのは奇跡です。ヒト以外で長時間二足歩行で移動できる動物はいません!安心して下さい、歩けるだけで、少しでも走れるなら十分すごいです。

話すのが苦手で、、、と気にかけているのなら、大丈夫ですヒトほど喋れる動物はいません。字が汚いなんて、気にしなくていいです、字が書けるだけで奇跡です!僕らはみんな奇跡なんです!

比較解剖学は、僕は人に自分の価値を与えてくれると思っています。もちろん、比較しない存在価値というものが最も尊いと確信していますが、比較したい欲求を叶えつつ、自分を大切にできる考えを提供してくれるのは比較解剖学だと思っています。

もっともっと比較解剖学が一般的な学問になって、義務教育の中で教えられるようになったら、きっと現在よりも自分を大切にする心が育まれるのではないかなと思っています。そんな本が書けたらいいなぁと思っています。

僕らは僕らであることで既にすごい存在なのです。

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